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大学受験という名のクイズイベント

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本日は大学受験の話。
チリ太郎も1年後には受験生。身近に迫る問題です。

チリ太郎の学校で高校から配布される先輩方の「合格体験記」ですが、これを読んでいると結構多くの先輩が、

「受験というイベントを楽しんで乗り切ろう」

というようなことを書かれています。

短い言葉ですが、大学受験というものの本質を見抜いた上でのアドバイスだなと感心したりします。

大学受験は人生の中で大きな節目となる出来事ですが、高校生活が全て大学受験のためにあるわけではない。
学生は学業に励むべきですが、大学受験のための勉強が学ぶべきことの全てではない。

私はそれが当然のことだと思っています。

しかし、世の中には、大学受験というものを過大に捉えてしまう大人が結構多いですし、悪くすれば学校の先生の中にもそうした傾向の大人がいたりもします。

義務教育や高校で学ぶべき内容は、教養としてある程度身に着けておくべきだと思いますが、大学受験の特に難関大学付近では、そうした理想像、あるべき姿が歪められているような気がしてなりません。

高校生としてマスターすべき基礎的な内容では差がつかず、あの手この手の難問に対してこれまた予備校があの手この手の対策を打ち出してくる様を見ていると、さながらクイズ大会の特訓か何かのようだと思わされるときがあります。

それは果たして、推奨されたり称賛されたりするようなものなのか?

ちょっと話は変わりますが、我が家ではテレビでクイズ番組をよく見ます。
それで、クイズに強い人を見ていると「博識だなぁ」などと感心するわけですが、例えば早押しなどで、問題を読み上げた瞬間に先読みをして回答してしまうようなケースってあるじゃないですか。そういうのを見ていると、「博識だなぁ」と感心する気持ちよりも、「よく訓練しているなぁ」という別の感情の方が上回ったりします。
私はクイズを極めたいわけではないので、そこまでいくと尊敬の気持ちから遠ざかって「この人、クイズに人生かけてるね」という感想しか残りません。

何かを学ぶことは尊いと思うからこそ子に勉強を勧めます。
ただ、それもある閾値を超えると急にクイズ大会のような、余興の域を出ないもののように感じられてしまう。
クイズにセオリーがあるように、受験の問題にもある種のパターンがあります。
そのパターン化されたものを見抜いてパターンで返すようなクイズイベント。
難易度が極まり、時間の制約が厳しくなると、本来思考して答えるべきものがゆがめられてしまう傾向があると思います。

受験生も、そんなことのための対策をしているうちに、ある時、

これ、何の意味があるの? 

と思う瞬間が来るでしょうね。間違いなく。

そして、その疑問を頭から振り払う。
「まあ、そういう制度なのだからそれに乗るしかないよね」と自分に言い聞かせる。
その時に大人の階段を1歩登るわけです。

人生にはそうした「滑稽な関門」がいくつか設けられている。
そして、どうせそれを超えなければいけないなら、サラリと超えていくのがカッコイイ。

「そんな滑稽な関門には3年も4年もくれてやるなよ。1年で十分だ」

というのが、先輩方のメッセージなんだろうなと想像したりします。

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