最近は減ったかもしれませんが、青少年の犯罪事件などで親に直撃取材なんてことがありますね。そうすると、
親:「世間の皆様に申し訳ない。でも家では優しいところもある子で、こんな大それたことをしでかすなんて…、思いもしませんでした」
などというコメントがあったりします。
これが報道などで拡散されますと、うちの妻などもそうなのですが、
妻:「親がそんなこと言って甘やかすから悪いんだよ。育て方が悪い」
などと益々批判する人が現れ、近年なら「炎上」案件となったりします。
日本って昔から「親の顔が見てみたい」などという言葉があるぐらい、躾とか子育てに厳しい人が多いですよね。また、裏を返せば「親がきちんと育てれば、常識的な子に成長するはず」という考えを持っている人が多いように思います。
子育てと子の犯罪率が無関係とは言い切れないので、こうした考えを真っ向から否定することって難しいです。でも、私は昔から思っていることがあります。
「じゃあ、子供が絶対に罪を犯さない子育て法ってあるものか?」
私はチリ太郎という1人息子の親であるわけですが、親の責任として普段からこう自分に言い聞かせています。
極論、我が子が罪を犯すようなことがあっても、自分の子供への愛情、自分がした子育ては否定しない。
子育てにおいて「正しい」「正しくない」を論じるのはナンセンスかなと思っています。
一度の過ちがあったらそれまでの過程が正しくなかったことになる。そんな考え方はナンセンスです。むしろ、子の人生に責任を持ち続けられるかどうかの方が重要であると思います。うまくいかないことがあっても愛情を持って寄り添い続けること。方法の正しさより、私はそういう粘り強さみたいなものの方が重要だと思っています。
なんでこんな重苦しい話をしたのか。
先日、チリ太郎が学校の遠足で秩父に行ってきまして、そこで家族用のお土産を買ってきてくれたのです。
↓ちちぶ餅
このお餅、お店の人に「型崩れしちゃうほどやわらかい」と言われたそうで、たしかに滅茶苦茶やわらかかったです。
チリ太郎、袋でぶら下げて持って帰ると型崩れしそうだからと、手に乗せて運んできたらしいのです。当日はまあまあ雨が降っていたのですけど、1時間手に乗せて運んできたとのこと。
街中で物を手に乗せて運んでいる人、見たことありませんよね?
私は思いました。
なんてやさしい子だと。
でもそんな親の見立てとは裏腹に、何か大きな間違いを犯す可能性というのは無いわけではありません。
私はそんなときがきたとしても、
私はあの時の優しいチリ太郎のことを忘れない。
親だけが知る優しい姿をずっと覚えているつもりです。
それも親の務めです。
きっとね、そういうふうに思う親が多いと思いますし、そうあるべきなのだと思うのです。
一番近くにいる人間が、その人の良い部分を見ずしてどうするのかと。
冒頭の例え話のケースですと、主観ではあるけど、親は自分の中での事実を語っただけなのだと思うのですよ。
ですので、私は「確かにそうであったのだろう」あるいは「そういう面も確かにあったのだろう」と思うようにしています。
一番近くで見ていた人の言葉を外野が否定するなんてね、もし自分のことであればとても耐えられないことですから。