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6年生は伸びるにきまっている

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最近は他の方のブログで取り上げられることが減ったように思う「マンガ二月の勝者」。
レンタルで読んでいる私は常に世間の話題から遅れをとっている状態ですが、夏休みの終わりにコミックス最新号(と言っても6月発行ですが)の18巻を読みました。

そんなこともあり、たまにはチリ太郎の中学受験を振り返ってみようと思います。

夏休みが終わりますと、大手進学塾でも志望校対策講座が始まります。
ここから本番の2月まではいよいよ「勝負の半年」ということになります。

いや、「勝負の半年」なんてフレーズは塾の煽り文句みたいで嫌ですね。

そう、

「最も伸びる半年」

と言い換えた方がよいですかね。

チリ太郎の受験の頃を思い出しても、秋から冬にかけて、最初は全然歯が立たなかった過去問演習が合格最低点を上回るようになったり、苦手だった国語の記述が急に書けるようになったりと、学力面で大きく伸びた印象がありました。
当時は「これまでの努力が実った」というように感じたり、チリ太郎自身にもそうした声掛けをしたような気がしますが、冷静に考えると、ある程度の学習が無ければこうした伸びも無いものの、小6の後期なんて放っておいても成長しますよね、子供ですから。
つまり、精神や肉体の成長による部分も大きいのではないかと思います。

受験生は受験勉強中心の生活を何年も続けていますので、何か変化があればその原因を受験勉強に求めがちだと思います。ただ、私はそれ以外の要因の方が結構影響を与えているのではないかと思っています。
そういう意味では、受験勉強と関係ないと軽視していること(例えば、学校生活、学校の授業、テレビ、親子の雑談など)が意外と大事なのかもしれません。
想像に過ぎませんが、少なくとも私は、勉強に集中し勉強だけしていればよいというほど人の成長は単純なものではないと思っています。

このことに関連して、一言書いておきたいことがあります。

中学受験というのは他者との競争ですので、他の子も同じように伸びています。そうすると我が子の伸びに気づいてあげられなかったり、褒めてあげられなかったりします。
私はこの点はすごく不幸なことで、(試験という性質上仕方ないとはいえ)中学受験の負の側面になりうる点かなと思ってます。

子供が「知らなかったことを覚えた」「できなかったことができるようになった」という成長の過程は、親ならば本来「無条件に喜ぶべき」ところです。
その貴重な成長シーンが、集団競争の中にあると見えなくなってしまう。
さらに悪ければ、「周りより伸びてないから偏差値下がってるじゃないか!」なんて叱ってしまう。
そんな不幸を生み出すのも、中学受験ならではです。

私は中学受験そのものには肯定的なのですが、所謂「受験熱の高まり」みたいな現象は苦々しく見ています。
小学校3年生や4年生、あるいはそれ以前から競争の中に放り込む今の大手進学塾のやり方は、結果は出るのかもしれませんが、やっぱり「正攻法」ではない気がするのです。

だって、学問ってそもそも競争する必要がないものですよね?
(学問の世界に全く競争的な要素が無いとは言いませんが)

それを、競争を煽るような環境で何年も過ごさせるというのは…、大事なものを見失ったり、子供に無用な挫折感を味わわせる可能性がある危険なやり方かなと思っています。

だから、親たる立場にある人は、片足は受験の沼に浸かりながらも、子の成長・変化を見逃さない冷静さを持って欲しいですね。
塾の先生はいろいろけしかけるのが仕事ですが、親はそれに同調しすぎず、頑張っている姿、成長している様子を見守ってあげる役割を忘れないようにしてあげて欲しいと思います。

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