スポンサーリンク

中高生活に潜む苦しみ

ランキング応援をお願います

私はチリ太郎が中高一貫校に入って以降、チリ太郎の学校のスクールカウンセラーさんの定期的な執筆物(スクールカウンセラー通信みたいなもの)には必ず目を通すようにしています。また、講演などがあれば最低でも動画配信を視聴するようにしています。
専門家の話を無料で聞けるのだから、自分のためにも子供のためにも機会は活用すべきかなと。

それで、そうした会に継続して出席していますと、スクールカウンセラーさんの基本的な姿勢が我々保護者の認識とはやや異なると気づきます。共通の心構えみたいなものなのかもしれませんが、一言でいえば、寛容であるところと注意深くあるところのギャップというのでしょうか。

例えば、生徒に何らかの問題行動、あるいは気になる兆候があったとして、親はそういうものを気にしがちですが、スクールカウンセラーさんは滅多なことでは「問題行動」みたいな判断はしないように思います。
スマホが手放せない、ゲームばかりしている、生活リズムが乱れ気味だ、クラスメートにうまく馴染めていないようだ等々、親は何か大きな問題に発展したりしないかと気にします。しかし、スクールカウンセラーさんは人間の生活の中での振れ幅に関しては、結構寛容な印象があります。

「人間ですし、そんなときもありますよ。お父さんだってそうだったでしょう?」なんて言われちゃったりしそう。

一方で、目に見えない部分への注意深さをお持ちである点も特徴的です。
例えば、本人は学校生活を楽しそうにしていている、友人関係も良好そう、親に対しても素直な態度。親にはそう見えたとしても、スクールカウンセラーさんは、「本当にそうでしょうか?」と注意深い姿勢を見せることがあります。
想像するに、思春期特有の葛藤や悩み、苦しみみたいなものが無い生徒などいないという考えがあるのだと思います。

そして、中高一貫校である程度の偏差値の学校には、「大学受験に対するプレッシャー」というものがつきまとうという考えも持っておられるようです。

例えば、中学受験で偏差値70の一貫校に合格しました。
その時はその合格を手放しで喜びますが、同時に、子供は偏差値70のステージに否応なく上げられてしまうわけです。
そこから先の6年は、東京一科、医学部、早慶や旧帝大ぐらいに合格しないと、(学歴の上では)何か体裁が保てないという環境です。いくら能力があっても、人生の中で一時的な不調に陥る場合もあるわけで、大学受験という期間限定の競争の中でプレッシャーを感じない子はほとんどいないでしょう。

「そんなの気にしなくてもいいじゃない」「大学なんていけるところに行けばいいんだよ」と思う人もいるでしょう。
たかが学歴、社会に出たらそんなものは関係の無い競争になりますからね。
しかし、子供たちが今いる環境、今いる小さな世界の中では、そうしたプレッシャーは逃れ難いものであり、目に見えない苦しみがある。どんなに明るく楽しそうに見えたとしても、その点には注意が必要です。

我が家など、チリ太郎は口数が多い子ではありませんが、親子のコミュニケーションは比較的取れている方だと思います。
しかし、それでも、やっぱり注意深くありたいとは思っています。
ですので、専門家の方の話を聞いて、いろいろ自己点検するわけです。

親子でも、夫婦でも、友人関係でも
他者との関わりには、自分の想像し得ない事象が存在していたりしますからね。

まあしかし、だからといって「中学受験で高偏差値の学校に入ってしまうと後が大変なので、ほどほどでいい」なんていう考えもまた違うかなと思います。

自分の能力ギリギリのところで頑張って勝ち取った合格には、相応の価値がありますからね。それはそれで人生の宝です。

中学受験を乗り越えたところで子供が「安心してしまう」という話はよく見るのですが、私は「親こそ安心しない」ことが重要なのではないかと思っています。
中高一貫校は上位の学校ほどのびのびして自由な校風の学校が多いです。
そういう雰囲気に変に安心せず、我が子の様子はよく見ておく必要があります。
学業、生活、友人関係。
根ほり葉ほり聞くと嫌がられますから、それとないやりとりから想像したりして、その時の状態に合わせた声掛けをしたいものです。

中学受験で「よい学校に合格した」と喜んだならば、その喜びを後悔にしないようできる努力はしておきたい。
もちろん、親が怠けても子は育つってことはありますよ。
しかし、良い意味で徒労に終わったなら、それはそれで自分だけの良き思い出として心に仕舞っておけばよいのですから。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする