チリ太郎のもらってきた「あゆみ」を見たり、保護者面談で伺った先生の話(妻から伝え聞いたものですが)を思い出すと、チリ太郎は恵まれているなぁとしみじみ思います。
どこが恵まれているか?
担任の先生やその他、お世話してくださった多くの先生方など、人に恵まれていると思うのです。
ただし、小学1年生のときは例外です。
小学1年生の時の担任の先生は、翌年には定年を迎えられた超ベテランの女性の先生だったのですが、親の思いや方針とは全く真逆の指導方針でした。
一言で言うなら、「教育」というより「躾」に近い指導をする先生とでもいいましょうか…。
ただでさえ、「何もできない」1年生に、「あれは無いよねぇ」ということが多かったです。
しかし、それ以降の先生には皆、チリ太郎の性格をよく理解していただき、非常に寛容な態度で接していただきました。
その間、1人も同じ先生はいませんでしたが、あたかも1人の先生が継続して見てくださっているような、そうした穏やかな見守りをずっと続けていただきました。
そうした中で、チリ太郎も少しずつ成長していきました。
もし、この間に(1年生のときのような)何かを無理強いするような強引な指導があったら、チリ太郎の今の成長は無かったかもしれません。
春休みが明けたら、チリ太郎も6年生になります。
どんな担任の先生になるか、とても楽しみです。
少し話はそれますが、妻や私が小学生の頃は、まあ「とんでもない」先生が多かったと思います。
公立の学校にはそういうイメージがありましたが、自分の子供が小学校に通うようになって、妻と意見が一致したのは、
最近の公立小学校の先生は随分と優秀だ。
という点です。
ですので、今の小学校にいる間は、どんな先生が担任になったとしても、概ね適切な指導をしていただけるだろうという安心感があります。
これが中学校になると、教科指導の重要性が格段に上がるとともに、生活指導の面でも難しい問題にぶつかること間違いなしです。
私の地域の公立中学校がどういう状態であるかはわかりませんが、上記のような課題に対応できる人材が揃っているかというと、これは、かなり難しいと思います。
ただ、それは公立の質が悪いということではない気がします。
つまり、特に選抜することなく集まってくる子に対して、教科指導も生活指導も適切にこなし、かつ、個々への目配りなどもできる先生がいるとしたら、それはもうスーパーティーチャーですよね。
ですので、中学受験というのは、先生も指導しやすく、生徒も指導を受けやすい、お互いの環境を整えるという意味で非常に効果があると思います。
チリ太郎の成長を見ていると、正にこれから難しい時期に入っていくと同時に、自立もしていくということで、そういう点にとても魅力を感じます。