他の方のブログを拝見していると、親子の会話で実に軽妙なやりとりをしていたりして、
「すごいなぁ」
と感心させられることがあります。
どのような会話が織りなされるのかは、お互いの知識や会話スキルによって決まるわけです。
ですから、お子さんも親御さんもスキルが高く、うまく波長が合わなければ、面白い会話にはなりませんよね。
我が家の場合、チリ太郎さんの会話スキルが小2並みなので、親子で楽しい会話が成立するようになるのはいつかなぁなんて思ったりします。
それでも、私は元来が子供好きな性格ですので、チリ太郎さんと二人でごはんを食べたり、散歩したりするのはすごく楽しいと思う方です。
しかし、これが親だから当たり前の感覚かというと違うようで、もともと子供嫌いの妻などはそうは思わないみたいです。
青:「休日なのに仕事で申し訳ないね。」
妻:「あー、チリ太郎さんと二人なんて憂鬱だ。せっかくの休日が。」
青:「お互いに好きに過ごしていればいいんだから、気にしすぎでしょ。」
妻:「ゲームばっかりするしさ。時間オーバーしても言うこと聞かないしさ。」
青:「ずっと家にいるのもよくないんじゃない? ルミネがセールやってるみたいだし、お出かけして豪華にお寿司でも食べてきたらいいじゃん。気分転換になるでしょ。」
妻:「あの食べ放題のやつ?」
青:「そう、チリ太郎さん喜ぶよ。」
妻:「やだよ、チリ太郎さんと二人で外食なんて。碌に会話もしないし。」
青:「そう? いろいろ工夫すれば話してくれると思うけど。」
妻:「好きなゲームの話だけ、マシンガンのようにずーっと話し続けるだけだよ。せっかく外食に行って、そんな話聞きたくないね。」
青:「そうかー、チリ太郎さんかわいそうに。」
という具合で、妻にとってはチリ太郎と二人でいるということがストレスになるようなのです。
ジェンダーについて煩いご時世ですが、母親だから感じることってあると思います。
また、子供も母親と父親で態度を変えるところがありますから、「私は平気なのだから、君も大丈夫なはずだ」なんてことも一概に言えませんしね。
こういうときにつくづく感じるのは、私は大して立派な夫でもなく、立派な父親でもありませんが、家族の中にあっては、「存在するだけで重要なバランスを担っている」ということです。
大抵のご家庭にも同じことが言えると思います。
ですから、家族が揃って過ごす時間は、長ければ長いほど、お互いの精神や体の健康のために良いのだと思います。