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仏の顔は何度までか

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「仏の顔は何度までだ?」

と聞かれたら、大人も子供も誰だって

「三度」

と答えるでしょう。(関西人を除いて)

ただ、中学受験中とか、子供が小中学生の間は、

「10倍の三十度」

ぐらい気長に見てもよいと思っています。

最近の我が家の話ですが、チリ太郎と妻が相変わらず小競り合いを続けております。
そして、チリ太郎も少しだけ反抗期に入りかけているのか、妻の説教の最中に、

チ:「ハァ…。」

なんて露骨な溜息をつきます。

もう、これが中世ならば、左手の手袋を相手に投げつけたようなものですよ。

妻:「何、その態度…。」

というところから、お約束の展開に入ります。

仕事がお休みの日にそんな場に居合わせたらたまりません。
せっかく家族が揃う時間に喧嘩ではね。

チリ太郎がそういう時期に入ったということもあるのですが、妻に1つだけ苦言を呈するなら、

「注意の仕方がしつこい」のです。

これを直接言うと炎上しますので妻には言いませんが、チリ太郎がうんざりする原因は間違いなくそれです。

ただ、妻の言い分もよくわかるのです。

「何回同じこと言わせるんだ」

ということです。

この思いが根底にあるので、1回注意する中で

「このあいだもそうだったでしょ?」ということとか、
「だから今後についても」だとか
「例えばこんなときも」とか、

全てをまとめて説明しようとするのですね。

妻からすれば、

「同じことを何回も注意している」
「そのことを本人にも理解させねば」
「ついでに今後起こり得ることについても前もって注意喚起しておこう」

という思いなのです。

大人の世界では、「仏の顔は三度」どころか、「1回失敗したこと注意されたことを2度するな」と言われます。
大人というのはそういうのが当たり前の世界で仕事をしていますので、周りの人すべてに対してそういう感覚を持ちがちです。

でも、

私は子供に対しては、もっともっと基準を下げて臨むべきだと思うのです。

それが「仏の顔も三十度」ということです。
そもそも、切れ目で対応が豹変する必要があるんですかね。

2回目も、3回目も、10回目も、30回目も、

はじめてやった時と同じように、注意したらよいと思います。

「これで〇度目だよ」とか、「もう何十回言わせるの」なんて言う必要はないと思います。

あと、大人がもう1つ誤解しがちなのは、

大人は「注意をすることで子供が気づく、考えを改めるきっかけになる」と思っていますが、多分、実際には、子供が自分で気づくまで子供の行動は大して変わりません。
自分が行動を改めるべきというのは理解しているのですが、今ひとつピンときていないというのでしょうかね。

もちろん、注意をすること自体は全く無意味ではないので、タイミングよく声をかけるべきなのですが、強く注意したところで少ない回数で行動が変わるというものでもありません。これはもう、子供が成長するか、たまたま条件が合って自覚するかぐらいしかありません。

大人としても、自分のストレスマネジメントのために、

「気長に待つ」「成長を待つ」

ということを再認識する必要があると思います。

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