中学受験を終えたご家庭は、新年度準備を着々と進めておられることと思います。
チリ太郎は3年前に私立中高一貫校に入学し、新年度から高1生。まさに折り返し地点を迎えます。
サポートする親もまだ道半ばではありますが、この3年間で見えてきたことを書き残しておきたいと思います。
「レベルの高い学校に合格できたことは素晴らしい。でも、我が子はまだ何かを成し得たわけでもない」
私立中高一貫校に合格したときから自分に言い聞かせ、チリ太郎にも言い聞かせてきたことです。
どんな子も、受験勉強でそれなりに努力をしたことでしょうから、その努力は褒めても良いと思います。
しかし、レベルの高い学校に合格できたこと自体は何の偉業でも無く、過大に誉めそやすようなことは慎まなければいけないと思います。
重要なのは入学してからです。
実際、入学してからの成績表などで学年全体の成績分布などを追うと、少しずつ開きがでてくるのに気づきます。同じ試験を受け、合格して入学しているのですけどね。
もちろん、差があるように見えるだけで、(学区から集められただけの)公立中学校ほどの差があるわけではないでしょう。
でも、差が出てくること自体に意外な驚きを感じてしまうのです。(保護者がね)
保護者は特にそうかもしれませんが、特定の学校を「偏差値〇〇の学校」として認知しているため、その中の生徒にそれなりの差異が生じると「おやっ?」という違和感を持つわけです。
普通に考えれば生徒間に差異があることは当然なので、その違和感を殊更に深刻に受け止める必要はありません。
しかし、「放置」や「見なかったこと」にはしない方がよいと思います。
同じ試験に合格して入学した仲間でも、少しずつ差が開いていく。
これはどこの学校でも同じことだと思いますが、そうなる原因って何でしょう?
・もともとの能力に差がある
・ポテンシャル、成長力に差がある
・入学してからの勉強量に差がある
・授業態度に差がある
・友達の質
いろいろな要素が考えられます。
多分、どれも間違いではないと思います。
しかし、どれが決定的な要素になっているのかと言われると、ちょっとわかりません。
ただ、仮に能力や成長力の差に起因していたとしても、自分で対処できる方法(予習復習をするとか、授業を大切にするとか)でしか差は埋められませんからね。やることは限られます。
そうしたことに本人が、中学3年までには気づいた方がよいという印象があります。
そしてもう1つ。
できれば早い段階から、遅くとも中3くらいまでに徐々に出てきほしいのは、
主体的態度
です。
これは勉強に限りません。
部活動についても、趣味についても言えることです。
自分がなぜそれをするのか?
何のためにそれをするのか?
そしてどのようになっていきたいのか?
こうしたことにうっすらとでも答えを見出しながら生活することですね。
中学生ぐらいまでは、何事にも「やらされ感」がつきまとっていたとしても、それはそれで生活はしていけます。
しかし、冒頭に述べたこと、つまり、
「有名な中学に入ったからといって、何事かを成し得たわけではない」
ということは、同じように、
有名大学に入ったところで、
官僚になったり商社・外資系コンサルに入ったところで、
同じく問われるわけです。
行った先で、学歴なり、肩書なり、それに見合った能力の評価は得ると思います。
しかし、「ただそれだけ」ですね。
なんだかんだ、若い頃から「こうしたい」「こうなりたい」「こういう人生にしたい」ということが明確は人は強いです。
これは努力すれば定まることではないので、これが定まらないゆえに悩むこともあります。
思春期ってそんな葛藤のさなかにあったりもします。
しかし、うっすらとでも、「近い将来のこと」とか「自分の行動原理」とか、そういうことに思いが及ぶようにならなければいけません。
実は、こういうところの差異が、本丸の学業にも大きくかかわっているのかなと思います。
だからって、「とりあえず『医師を目指す』ってことで洗脳しておけば、学業は頑張る以外の選択肢は無くなるよね」みたいなやり方は大反対ですけどね。