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メディアの欺瞞と世論偽装

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ここ数日で気になるニュースが2つありました。
ニュースの内容が気になったというより、「報じられ方」が気になった案件なのですが、1つは、

「夏の甲子園出場校の丸刈りvs長髪問題」です。

ご存じない方のために簡単に説明しますと、この夏の甲子園大会で準決勝に残っている4校の中で、慶応(神奈川)と土浦日大(茨城)は生徒の頭髪を自由にしている学校で、それらの学校が躍進することによって、従来の「高校球児=丸刈り」という構図に新風を送り込んでいるというものです。
この事象自体は個人的に「ふーん」という程度のもので、同じように受け止める方も多いと思うのですが、なぜかマスコミでは「自由vs丸刈り」のように対立構造で報じられ、

「今時丸刈りなんて古い」
「意味のない強制ルールは必要ない」
など、「議論が沸騰している」という論調で報じられていました。

うーん、どこで議論が沸騰しているのか…? 私の知らないところかな…?
という違和感を持ちました。

また、もう1つの方の気になったニュースは

「韓国のとある女性DJが日本で開催されたフェスでセクハラ(痴漢行為)を受けた」

というニュース。

これもニュース自体はありふれた事件ではあったのですが、何故か「そのDJが露出度の高い衣装であったことを問題視する人がいる」ということがクローズアップされ、

「女性が性的被害にあうとき、何を着ていたかは関係ない」というような点について、様々な分野の方がコメントを出していました。

これについても、どれぐらいの割合で、あるいはどこの誰が「露出度の高い服を着ていたら性被害にあうのも当然」なんて発信をしたのか? という印象でした。
私が目にした中では、(自衛策として服装のことを論じる人はいたものの)服装をもって「被害にあうのも当然」という意見の人はほとんどいなかった気がしますが、何故かこれも「露出度の高い服は問題だ派vs何を着るかは自由だ派」という対立構造で報じられていました。

この2つのニュースの報じられ方ですが、少し言い過ぎかもしれませんが、わかりやすく言うなら、

「存在しない対立構造で報じられている」

ということですね。

世論を二分するような意見の対立があるケースならば納得できるのですが、今回のケースは明らかに「記事を書くために対立構造を作り出した」という感じがしました。

そして、こんなレベルの低い内容がニュースになってしまうことについて、

・日本のマスコミはレベルが低い、あるいは低下していないか?
・おっさん(マスコミ)がおっさん(主たる読者)に向けて作るからこういう不自然なことが起こるのだろう

ということを思いました。

高校野球の丸刈りの件で言うなら、私(=おっさん世代代表)などの世代の中高時代は、校則で全員が丸刈りで、今で言うところの「不合理な校則」に縛られていた記憶を持っている人が多いと思います。
しかし、それって30~40年前頃の記憶・経験であって、今、丸刈り校則、丸刈りルールの学校に所属している生徒たちとは世の中の状況、丸刈りに対する受け止めは異なっているはずですよね。
例えば、我々の世代の頃の「丸刈り」は懲罰や生活指導的な意味合いが強かったのですが、この30年ほどの中で、ファッションとしての丸刈りは2サイクルぐらいのプチブームを経験していて、古臭いという印象は以前より薄れていると思います。
また、一方で、頭髪自由の学校がちらほらと出て生きている中で、敢えて丸刈りを維持している学校の場合、「オール丸刈り」であった時代とは受け止めも異なるはずです。

そういう世相の変化も加味して、「今、当該生徒がどう感じていて、どうあるべきか」という議論であれば、大変興味深いのですけどね。

結局、今のマスコミといういのは、当該事象の当事者たる若者の意見を報じているのではなく、おじさん世代の編集者が、「こうだろう」「こうであるはずだ」みたいな思い込みで編集をして発信している。
だから少々ピントがずれたところで盛り上がってしまうのですね。(実際には当事者でないおじさんしか盛り上がっていないのですが)

私はこんなちっぽけなブログを運営している程度ですし、基本的には「個人の考え」を綴っているだけなので、そうした「見せかけの世論」みたいなものに注意をして記事を書くということはありません。
ただ、子供と接するとき、子育てや子供の教育に関わるときには注意が必要だと思っています。

例えば、

「なぜ勉強をするのか」
「将来の夢、なりたい職業」
「進学や学歴に対する考え方」

そうしたいろいろな事項について、「自分の考えが今を生きる子にマッチした意見になっているか」ということは、よくよく自己点検してみなければいけないなと思います。

私が学生だったのは30年以上前のことです。その記憶と経験にしか依拠しない「決めつけ」と「誘導」は、結局のところ、何かアドバイスをしているようでいて、これからを生きる子供や、今を生きる若者には何の足しにもなっていない可能性があるなぁと思います。

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