本日は「ジェンダー」の問題。
先日、長崎県の公式キャラクター「がんばくん」と「らんばちゃん」について、女性市民団体が抗議を行い、長崎県側が対応を検討することになったことがニュースになりました。
私はこのニュースを朝のニュース番組で見たのですが、確か、「がんばくん」が隊長で「らんばちゃん」が副隊長であるという役職設定の要否や、衣装等がステレオタイプである等というのが抗議の内容であったと記憶しています。
↓長崎がんばらんば隊のFB
https://www.facebook.com/ganbakun/
ニュースをご覧になった方もいらっしゃると思いますが、率直にどう思われましたでしょうか?
私はチリ太郎とテレビを見ながら、
「しょうもなっ!」
と呟いてしまいました。
でも、後でよく考えてみたら、これは誰が悪いといって「報道する人」が一番悪いですね。
長崎県も女性市民団体も、それぞれの主張、言い分があるのだと思いますし、それが衝突したにすぎません。
しかし、報道する側は「報道することによる影響」を理解してやっています。
これは非常に罪深いことだと思います。
どういうことか?
このニュースが朝の短い時間枠で報道されると、視聴者の何割かは私と同じように、
「しょうもなっ!」という印象を持つでしょう。
そして、その次に、
「女性市民団体ってのはこういう小さなことに嚙みついてばかりだな。」
という印象を持ち、
「そもそもジェンダー問題なんてくだらないんだよ。」
なんていう飛躍した結論に至る人も出てくるでしょう。
短いニュースでは抗議を行った市民団体の主張やその真意、活動履歴などは知ることができません。
また、長崎県がこれまでにとってきた政策も背景にあると思いますが、そういうことも短い時間では説明することができません。
ただ、「ゆるキャラの設定に抗議した人たちがいる」ということしか伝わりません。
このニュースを報じることは、一種の印象操作となって、真面目にジェンダー問題を議論しようとしている人たちの話の腰を折ることになると思います。
こういうニュースを報じること自体が議論を矮小化する効果があるのです。
私は、メディアの人々は意図してやっていると思いますね。
本当によくないことだと思います。
一方で、こちらのニュース
「ジェンダーレス水着、生徒の声反映」
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6428960
の周囲の受け止めは、メディアの意図を見事に交わした感想が多かったように思います。
どのメディアもこの商品発売を「ジェンダーレス水着」というようにジェンダーの問題と絡めて報じたのですが、ネットニュースのコメント欄などを見た限りでは、
「ジェンダーレスかどうかはわからないけど、日焼け防止にもなるし、肌の露出も無いからいいよね。」
「私の時代にもあったらよかった。水着を着るのが嫌だったから。」
というように、普通に子供が使用する水着として、「よいアイディアだ」と評価しているものが多くて、「これでジェンダーレスとか言うのは大げさだな」と言わんばかりのスルーぶりでした。
これは私の感覚ですが、「ジェンダー問題」というのは要するに「人権の問題」であるはずです。
ですが、メディアの多くはこの問題を、比較的軽いタッチで報じることが多いような気がするのですよね。
それは、問題をわかりやすく報じようとか、深刻な雰囲気にならないよう明るく報じようという意図もあるのかもしれませんが、私には「根本的に大きな考え違いをしている」か「悪意を持って貶めようとしている」と感じられます。
違う考えをお持ちの方も大勢いらっしゃると思うので、あまり断定的に強く言うつもりはないのですが(炎上するのが怖いので…)、「私には」そう感じられるという話ですね。
メディアとの対し方って深く考えると難しいですよね。
チリ太郎はまだ「メディアから情報を得る」ことを習慣化する段階ですので、あまりごちゃごちゃ言ってはいけませんが、いずれは、
「ニュースを見てどう思ったか?」
「ニュースは周囲にはどう伝わったか?(どう伝わったと思うか)」
「そこに意図や誘導はあったと思うか?」
「それらを総合して、改めてどう思うか?」
など、分析したり、想像したり、チェックすることが必要になることを教えなければなりません。
まあ、大まかに言えば、「報道を鵜呑みにせず、自分の頭で自由に考えてみろ」ってことですけどね。