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都立高校入試のスピーキングテスト、公立教育は変われるか

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東京都の都立高入試にスピーキングテストが導入されることは、昨年(約1年前)に既に公表されている事項だったのですが、それが都議会などで正式承認を得るに至り、現実的に実施が近づくにつれ、導入反対の声が大きくなってきているようです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/fb262dd54f56e4ecdf2ce575d780d141b2a43411
↑直近はこのニュース「23年度の都立高入試 英語スピーキングテスト活用正式決定」

実施時期は報道機関などがそれぞれの表現(23年度実施など)をしているのでわかりづらいのですが、要するに来年度に都立高に入学する生徒について、今年の11月頃に試験が実施されるということで、もう目前に迫っている事項ですね。

ネットニュースの報道には様々なコメントが寄せられていますが、見る限り、「積極的に賛成」だとか、「肯定的に考える」という意見はほとんど見られませんね。
基本的には実施を危ぶむ声ばかりです。
実施概要については、都が公表している以下の内容のとおりです。

https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/press/press_release/2022/release20220526_03.html
↑東京都教育委員会のページ

すごくザックリ言えば、

・正式名称は「東京都中学校英語スピーキングテスト(ESAT-J・イーサットジェイ)」と言うらしい。
・令和5年に都立高に入学を希望する生徒について、令和4年11月27日に実施される。(入学試験日に実施されるわけではなく、スピーキングだけ事前実施する)
・実施対象は東京都の公立中学に在席する生徒に対してであり、国立中学、私立中学生徒には適用されない。
・点数は筆記試験の点数700点(換算点)、調査書の点数300点(換算点)に対して、ESAT-Jの点数が20点。計1020点満点で評価される。
・ESAT-Jの得点20点は、A20点~F0点で4点刻みの6段階評価。
・ESAT-Jはベネッセコーポレーションが実施・採点などを実施する。

多くの方が批判されているポイントは様々なのですが、拒否感が強いと思う順に挙げていきますと

・民間事業者に選定されたのがベネッセコーポレーションである。同社は過去に個人情報流出の事故を起こしており、個人情報管理の面で不安がある。
・実施・採点まで民間事業者が実施し、採点に教員が介入する部分が無く不透明。
・上記のこともあり、民間事業者が別で展開するサービス(通信教育や特別講座など)に恩恵を与えることになる。
・国立中学や私立中学の生徒はこの制度を使用しないため、不平等である。
 ※不受験者はペーパーテストの英語の点数を基に、仮のESAT-J点数が算定・付与される

これは本当に大変なことです。反対の声が過半数どころか7割以上にも達しそうで、それを強行するわけですからね。

反対している方々も、英語の4技能(「読む」、「書く」、「聞く」、「話す」)の「話す」力を強化したいという気持ちには賛成していると思うのですが、具体的な実施方法の面で拒否感が強いのでしょうね。

我が家への影響という面を考えると、今のままの実施方法なら、仮に私立から高校進学時点で都立を目指すとしても、実施対象には含まれません。
ですので、このままの制度ですと「全く関係ない」ということになります。

もし、チリ太郎が公立中学に進学していたとして、2年後にこの試験を受けると想像したらどういう感想を持つか…。

多分、

「少なくともAの20点かBの16点が取れるように頑張ってね。」

としか言わないと思います。
そのためだけに通信教育に加入したり、特別な講座に加入させたりはしないと思いますね。
その代わり、どういう試験が行われるのかは、調べてみるかもしれませんけどね。

無関係な私が発言すると炎上してしまうかもしれませんが…

この制度の導入、あるいは今年度の実施に反対する方の気持ちはとてもよく理解できます。
一方で、多数の反対がありつつも実施に踏み切る東京都の姿勢も評価しています。
何かを変えようとするとき、必ず反対の声は起こります。
そして、完璧に近い案でなければ「議論が十分ではない」「実施の面で正確性、公平性などに不安がある」「廃止とは言わないが、少なくとも実施を延期すべき」等という注文が付きます。

まあ、そこで屈してしまうと何も変わらないし変えられないですね。
もちろん、そもそも変える必要が無いというご意見もあるとは思いますが、私はどちらかというと、教育は常に変わっていくべきだと考えています。

今回の例に限らず、こういう世の中の動きを見ると、

「公立学校の教育ってとにかく変化しづらいよね」

という印象を持たれます。

変えて失敗することもありますし、その場合、当該世代の方には謝るしかないわけです。
一方、変わらなければ失敗もありませんから、誰にも不利益を与えることはありません。
しかし、後者の場合、「変えるべきであったのに変われなかった」という点はほとんど検証されることがありません。
そのように無検証で終わってしまうことが、変わって失敗してしまうリスクと比較してどうか?

まあ、私はトライ&エラーの方を好むということですね。

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