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受験だろうが伸びやかに育てる

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先日、マンガ二月の勝者を読んだ勢いで久々に中学受験のことを書きました。

それにしても…、マンガだから多少脚色しているのか、はたまた丁寧な取材に基づき実態を描写しているのかはわかりませんが、二月の勝者を見て思うのは、

「いや、勉強させすぎでしょ。塾はそれが仕事とはいえ」

ということです。

「世の中学受験生は勉強しすぎ(させ過ぎ)」ですよね。

集団指導で「できる層」を基準にカリキュラムを組めば、集団指導塾はどうしても学習の質・量の面で過多になりがちです。
よく、サピックスに通わせる親御さんのブログなどで目にするのですが、我が子が塾の課題をこなし切れない様子である場合、担任や家庭教師にお願いして課題を間引いてもらうご家庭もあるようですよね。

「最初からこなせないものを出さなければ間引く必要もない」わけで、そんな例を見てもわかるように、多くの子にとって進学塾のカリキュラムはオーバースペックになっていると感じます。

逆に、塾の言う通りにやっていったら、やり切れたなら、「筑駒や開成に合格できますよ」と言われたとしても、嘘ではない気がします。ただし…

「そりゃそうでしょ。でも、そんな子います?」って話です。

チリ太郎の受験を振り返ったとき、当時はチリ太郎に「いかに勉強させるか」ということに一生懸命であった記憶があるのですが、客観的にやらせたこと、取り組んだことを見たとき、

「私は勉強をさせ過ぎない努力をしていたのかな…」

と思うほど、あまり勉強させていません。

例えば、中受界で標準的な指導方法を例に挙げるなら

・塾から出る宿題
→チリ太郎は早稲アカのNN以外、メインの学習は個別指導塾に通っていましたが、個別指導塾では最初の頃宿題を出してくれていたものの、チリ太郎は一向にやらないし、親もやらせようとしないので、諦めて宿題は出さなくなりました。

・模試の自己採点や解きなおし
→これもまともに取り組んだことはありませんでした。模試は解答・解説は興味のあるところだけサラッと見ているようでしたが、特に「同じ問題が出たときに解けるか」みたいな確認は1度もやったことがありませんでした。(チリ太郎が心底気が進まない様子でしたので、時間の都合もあり…)

・暗記系の学習のしかた
→理科・社会の暗記でサピックスの「コアプラス」は気に入っているようでしたが、暗記を完璧にするために「数周して、書けるかどうかのチェックをしたり」ということはしませんでした。2・3周はした気がしますが、常に赤シートを使って眺めているだけでしたし、最後の方は「これなら寝ころびながらできるから」という不純な動機でやっているように見えました。
今もそうなのですが、チリ太郎は単純な暗記系の勉強は好きではないようで、漢字の学習もテキストの最後までいきませんでした。

すぐに思い浮かぶのはそんなところですかね。とにかく、トータルの勉強時間は誰よりも短かったのではないかと思います。
しかも、中受の勉強を始めたのは小学5年の秋でしたしね。

こういう話をすると

「我が子の『できる自慢』でしょ」

と言われてしまうかもしれません。

そう取られてしまったら申し訳ないのですが、私が言いたいのは、

「同じ問題を指導するにも、1回で覚えてしまう子、2回やって覚える子、3回以上やっても覚えられない子がいて当然」
「そのような中で、いかにクラス分けをして進めているとはいえ、指導や課題などが一律に出されれば、その子に合わない内容が出てきて当然」

ということです。

それで、集団指導塾は基本的に合格を目指して「穴の無いカリキュラム」を組むわけですが、「全ては習得できない」のであれば「最初から捨てるものを明確にしておくべき」と考えるわけです。

私はチリ太郎の受験について、「受験勉強」とか「学習指導」という面で見れば、本当に「穴だらけ」だったと思います。
しかし、それは「受験勉強のスタートが遅くなった分、チリ太郎に合った最善の方法を…」と常に考えながら、試行錯誤した結果としてそうなっただけです。

チリ太郎の受験の結果を見て思うのは、

・全ての学習について、多少のアラはあっていい
・完璧を求めてはいけない(何かを完璧にやろうと思うと時間も労力もかかり、却って無駄が増える)
・気が進まないことは無理にやらせない方がよい(嫌いだけどやらなければならないことは絞って説明を尽くす)

という方針があってもよいのではということです。
※成長途上の子が臨む「中学受験」に限った見解です

なんとなく、随分と甘い方針だと感じられるかもしれません。
しかし、「精神的な負担を減らすとトータルの学習効率が上がるのでは?」という説明にしたらどうでしょう?

なんだかんだ、日本は根性論が好きです。
合理的な考えも浸透してきていると思いますが、「嫌いなこと、苦手なこともあったけど、頑張って努力を重ねた結果、合格できました」みたいなストーリーが好きですよね?

私が勝手に思っていることですが、多くの中高一貫校はそんなに「勉強漬けで努力してきた子」を欲しているわけではない気がします。
なぜなら、多くの入学試験は7割取れれば合格できるという難易度に設定されていて、3割も捨ててよいところがあるのです。
もし、努力に努力を重ね、苦手を克服し…みたいな生徒を望むなら、もう少し合格最低点を上げて、ミスが結果を左右するような問題構成にするのではないかと思うのです。

そんなことを思うと、

学校は「伸びやかな才能」を欲し

塾は「対策とハードワーク」で臨む

というミスマッチを感じるのですよね。

麻布などは、この点も明確に意思表示していますよね。

そんなことを思うと、現在の中学受験はこのままでよいのかということも思います。

ただ、民間企業たる「塾」の方が変われというのは無理な話なので、やはり消費者たる「親」の考え方がキーになりますよね。

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