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不思議な負けがないのなら

ランキング応援をお願います

8月8日にオリンピックが閉幕しました。
8月16日からパラリンピックが開幕しますので、引き続き応援観戦をしたいと思っています。

過去最高のメダル獲得数に沸いたオリンピックでしたが、私は、世界が(コロナで)このような状況であれば、日本にとってはホームアドバンテージが最大限に生きるという予測を立てていましたので、想定の範囲内といえば想定の範囲内でした。

もちろん、自国の選手が活躍すればなんとなく嬉しいものですが、私の場合、むしろ「力を出せなかった選手・競技」の方が気になって仕方なかったです。

名将、野村監督の言葉に

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」

というものがあります。
不思議な負けが無いということは、必ずその理由を追えるということですから、これに学ばない手はありません。

では、東京オリンピックで期待されたような成績が残せなかったケースはどんなケースだったかと振り返ったとき、

・そもそも実力以上に評価・期待されていた
・調子が下降線であった
・(対人競技などでは)相手が徹底的な対策をしており、それに対応できなかった
 ↑ウィークポイントを克服しきれなかったと言い換えることもできます
・(上記と少し被りますが)悪い流れを断ち切ったり、修正する力が弱かった

などの理由が思い浮かび、これらの要因が複数重なった結果、「想定外の敗戦」に至ったケースがほとんどだったのではないでしょうか。

メディアでは、「油断」とか「エアポケット」というような表現が使われることもありますが、あのクラスの選手が目標とする大会で油断するなんてことは考えられないので、ここには入れておりません。
(本人も認めないと思います)

そこまで考えたとき、

「これって中学受験にも当てはまるよな」

と気が付きます。

例えばチリ太郎の場合、NN駒東の特待を獲ったりして調子が良いように見えますが、たまたま調子が良かった時に評価されたという可能性があります。
肩書だけが先行して、本人がそれにふさわしい手応えをつかめないまま本番を迎えてしまったとしたら…。

調子の良し悪しというのは自分でコントロールしきれるものではありませんが、親が調子の見極めを誤って本番に送り出してしまったら…。

偶々本番で苦手な分野ばかりが出て、時間内に対応することができずに試験を終えてしまったら…。(チリ太郎の場合なら、国語、社会、理科の地学や生物…)

失敗のパターンというのは、分野に限らずある種の共通性があるものだと思います。
ですから、それはオリンピックを観察していても学び取ることができるはずです。

過去最高のメダル獲得数に歓喜するのは、受験に例えれば、さしずめ「合格者の受験記」を眺めて期待感を膨らませるようなものだと言えます。
一方、勝者よりもはるかに多い「敗者の声」を拾うことは意外に難しく、スポーツ界では本音の声や裏話を聞くことは難しいですし、受験界では、リアルタイムブログなどを探し当てなければ目にすることができません。

成功事例は思い切り称賛されるべきですが、一方でその裏にある失敗事例を強かに分析し、自分ごととして胸に留めることが重要だと思います。
スポーツの世界でも、勉強の世界でも、本物の強者はそういうことを冷静にやっている人だと思います。

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