2/1ですね。
中学受験に臨むご家庭において、この日に最も必要なもの。
それは…
待機所で気を紛らすために読む記事です。
ゲッツ!
アンド、ターン!
ということで、長めの記事を用意しました。
中学受験で第1志望に合格できる人が1/3以下なのだとしたら、残る2/3のご家庭が報われ、幸せであることを願わずにはいられません。そちらの方が圧倒的に多いわけですしね。
「ご縁」という言葉があります。
受験のさなかにあっては、「そんなこと言われたって、第1志望と『ご縁』があることに越したことはない」という気持ちしか持てません。
ただ、多くの方が「偏差値による格付け」の影響を受けている点について、「自覚しているようで自覚できていない」と思います。
偏差値65のA校、偏差値58のB校があったとして、
この2校が併願受験可能な場合、多くは第1志望A校、第2志望B校となります。
これらの学校は全く独立した教育を提供していて、その質には大きな違いは無いのですが、
偏差値表としては上下に掲載され、難易度の高い学校の志望順位が上になりがちです。
受験者は志望順を持って、「縦の序列を持って」受験に臨みますが、実際には学校同士の関係は、「同格で並列のもの」なのですね。決して、学校が縦に序列化されているわけでも、格付けされているものでもありません。
偏差値の違いというのは、直接的には入試難易度やその学校の生徒の(入試時の)成績水準を指しますが、まあ、つきつめていけば「人気」の違いでしかありません。
決して、A校がB校より優れているわけでもありませんし、A校に入学した生徒がB校に入学した生徒より優れた大人になるわけでもありません。
偏差値で何がしかの「質」が保証されそうに思いますが、そんなものは何も保証されません。
私は偏差値が「害悪の元凶である」とまでは思っていませんが、やっぱり、受験者や保護者の潜在意識に与える影響を考えると、「負の影響が大きいな」と思います。
先述のA校・B校の例で言えば、偏差値的には7ポイントの差があるわけですが、学力だけで比較しても、B校にいる生徒の中にはA校の生徒より優れた生徒が混ざっているのが普通です。
そして、3年もすれば、B校の上位生徒が多数、A校の下位生徒上回るようになると思います。
私も学校選びで偏差値の影響を全く受けなかったかと言われれば、否定することはできません。
ただ、私立中高一貫校に入ってみると、全学年の成績分布は「上下に分散」することを実感します。一律に上がるようなことはほとんどなく、大抵は上下に分散します。
そういう実態を見るにつけ、学校を偏差値で格付けすることの愚かしさを実感します。
不思議なんですよね。
入る時にはレベルの高い集団に入り、
我が子もそのレベルの集団の構成員だと思っていたところ、
中高一貫校生活の中で差が開いていくのですよね。
「レベルの高い集団に入ったら、周りに感化されて我が子のレベルが上がる」とか、
「頑張って食らいついたらレベルが上がる」とか。
私はあまり信じていません。
「その子に合った学習進度、その子に合った学習環境」であることが一番重要だと思います。
その部分は、実際には入学してみないとわからないことが多いのですが、結果的に、合わなかった人、合わせることができなかった人がふるい落とされていくようです。(「できない人」がふるい落とされるのではなく、「合わない人」が落ちていくのだと思っています)
「ご縁」
という言葉は非常に漠然としており、やや非科学的なニュアンスもある表現です。
以下は私の考えなのですが、
入試で4つも5つも合格を取る人がいると思います。
しかし、進学できる学校は1校です。
そして、歩める人生も1通りです。
何個合格を取ろうとも、最終的に進路は1人に1つとなり、受験生全体がその法則で均されると、我が子が進むべき進路、道が示されます。
私は、これが「ご縁」だと思っています。
アントニオ猪木が好きな人であれば、「道」と言い換えてもよいかなと思います。
そして、これを日本人特有の「ご縁」というふうに表現したのは、
「その(1つしかない)道を大切にせよ」という意味合いが込められているのかなと思っています。
今は懸命に模索する時です。
その時が来たら、目の前に示されたものを手繰り寄せましょう!
そして、その手繰り寄せたものは、自分にとって、我が子にとってどんなものであるかということを、しっかりと時間をかけて確かめてみましょう!