個人の感覚の話なのですが、「リベンジ」という単語を見ると少しドキッとしてしまいます。
おそらく、原語「revenge=復讐」というニュアンスに引っ張られるからなのでしょうね。
カタカナ英語として定着した「リベンジ」は1999年に流行語大賞に選ばれて以降、もう日本語に定着したと言ってもよいと思います。(私の世代ですと、松坂大輔さんとセットで記憶されています)
日本語の「リベンジ」は原語とは別のニュアンスで使われていますが、敢えて別の日本語に置き換えるなら「雪辱」がいちばんしっくりきますかね?(カタカナ英語は時々日→日翻訳が必要です)
ただ、中学受験の記事やブログで「リベンジ」という単語を見ると、上記とは別の「モヤッと感」を覚えます。
格闘技やスポーツで使う「リベンジ」は、相手(対戦者)がはっきりしているので理解しやすいのですが、受験における「リベンジ」って、「えっ、何に対して? 誰に対して?」と感じてしまうことが多いです。
例えば、
「A校の1回目受験は残念だったが、2回目受験で合格してリベンジ成功!」
というようなケースはまだモヤッと感は薄いのですが、
「私立第1志望のA校は残念だったが、それより偏差値の高いB校に合格してリベンジ!」
とか、
「中学受験は不本意な結果だったので、大学受験でリベンジだ!」
みたいな表現を見ると、「うーん」と思ってしまいます。
こういう表現、塾の先生、教育評論家でも使用される方がいらっしゃるのですよね…。
私が感じるモヤモヤの原因の1つは、こうした対象のズレです。
「それはリベンジになってるのかな?」
みたいな違和感を感じます。
そして、モヤモヤの原因のもう1つは、「その発想の延長にある未来への心配」とでも言いましょうか…。
受験では合格者がいれば不合格者もいます。
不合格者がその結果を受け、人生の次のステップにどう繋げるかというときに、私は「リベンジ」という表現は使いたくないなぁと思います。
本人がそう思う分にはよいのです。
悔しい気持ち
挽回したいという気持ち
これは人生の中でも貴重な経験なので、それを感じた本人が
「何らかの形で取り返したい。リベンジしたい」
と思うならそれは立派なモチベーションです。
でも、本人以外から「リベンジ」という言葉が出てきて、
そういう言葉をもって誰かを「焚きつける」ということがあった場合、
「その考え方」「その方針」「その導き方」は熟考されてのことかと疑問に思ってしまいます。
誤解のないよう申し添えますと、本記事で誰かを批判したいという意思はありません。
完全に私の主義・主張の問題です。
ですので、誰かに「こうあるべき」と強要したりするつもりもありません。
受験が意図しない結果に終わったとして…、
私がその後に最も大事だと思うことは、
悔しさをバネにすること
悔しさを忘れないこと
ではなく、
次の環境に馴染み、
その環境を楽しみ、
そこで個性に磨きをかけることだと思っています。
私の考えすぎかもしれませんが、
「リベンジ」という言葉には
・この結果は不本意だ
・この環境は本来いる場所ではない
・悔しさを糧にして、次の機会に以前に求めていたもの以上の成果を上げるのだ
というニュアンスがあると思います。
そこに焦点を当てるということは、「与えられた環境で成熟すること」とは、対極にある考え方かと思います。
そういうところが子供にどう伝わるかという点がとても気になるのです。
「悔しさをバネにする」ことも時には必要かもしれませんが、私はそのモチベーションはあまり長続きしない種類のものだと思っています。
中学校の3年間、中高一貫校の6年間はとても長いです。
そこを乗り切るのにふさわしいモチベーションは何か?
私は今のところ、全てを「楽しい」と思う方向に持っていくようにしています。
まあ、それが「正しい」かは誰にもわからないことですが、皆さんはどう思いますか?