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自走できるか問題(連載⑥最終回)

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チリ太郎のやらなかった(やれなかった)受験対策を振り返るシリーズ、第6回は「自走」です。
長い連載になってしまったので今回で締めます。

チリ太郎の受験を振り返り、仮に「自走度」という尺度を設定して、どのくらいできていたかと評価したなら…、

15%ぐらいでしょうか…。(←100%での評価で、60%を超えたら親として「自走した」と認めてよいレベルと仮定しています)

「自走」という言葉の定義的な話になってしまいますが、「自走」と「人間としての独り立ち」とか「自立」は少し意味合いが異なると思います。
中学受験における「自走」の話は、中学受験という目標に対して本人がメインで取り組むべき事項(勉強や志望校選び、それに付随する身の回りのこと)に限定すべきかと思いますので、それを前提に話します。

青ティ評価で自走度15%のチリ太郎ですが、それでも、小学6年時には精神的に成長したところがありました。具体例を挙げますと…

・遠方のNN校に一人で通えるようになった

いっ、1個しか挙げられない…。

まあ、自発性に乏しいチリ太郎だけに、何事も「親の確認→本人が決める」という流れであったことは否めません。
中学に入学した今もほとんど変わっていませんが、まだまだ何かにつけて親の手がかかります。(驚くことに、勉強に関しても未だ親が声掛けをしております)

大人の考えですと、

「受験をする」

と本人が決断したなら、

「基本的にはそれに付随することは本人が率先して行動すべき」

となると思います。

それが大人の世界の暗黙のルールみたいなものです。

でも、それを子供に適用してしまうと、大半の子が自走の基準には達しないだろうと思います。
男の子は特にそうですが、
「受験する」「○○中学に合格したい」
などと言う割に行動が伴いません。

大人の目線では、ほとんどの子が「口だけで行動が伴っていない」です。

しかし、子を導く側としては、

「それが標準」
「それが子供」
「それが当たり前」

と考えるところから出発する必要があります。

まあ、自走できたらどうなのかと考えたとき、面倒を見る親は楽になりますが、それ以上の効果というのはあまり思いつきません。

私個人の見解ですが…(←このブログは常にそうですが)

・自走するしないは、その子の性格や精神的発達度の影響が大きい
・自走とやる気はあまり関係ない
・自走と受験結果もあまり関係ない

と思っていますので、中学受験において「自走」に拘る必要は微塵も無いと思います。

「自走」は小学生にとってはあまりに高すぎる目標です。
足りないと思うところは親が全てフォローしまくるぐらいのつもりでいけばよいのではないかと思います。(先回りのしすぎないよう自制は必要ですが)

子供は自分が悟ったタイミングで行動し始めると思います。
それが、中学受験期間中でなければいけないわけではありません。
あまり良くないパターンとして、

・自走するよう仕向ける、強要する
・自走とやる気を関連づけ、やる気が足りないと叱責する

みたいなことがなければよいかなと思います。

さて、長々と6回に分けて私が思うところを語ってきました。
お付き合いいただいて記事を読んでくださったみなさまの中で、少なからず

「なんだよ青ティ、子供の自由にさせろみたいなことばっかり言ってて、全然勉強させる方の話をしないじゃないか! それでどうやって受験を乗り切るんだよ!」

とお思いの方がいらっしゃるのではないかと思います。

私自身、チリ太郎の受験期間中に「やるからには一生懸命、全力で取り組んで欲しい」という思いもありました。
一方で、「小学校最後の思い出が勉強だけということは避けたいな」という気持ちもありました。

今、チリ太郎の受験を終え、中学に通うチリ太郎を見て思うのは、

「もし、子供が使える時間が10あるとして、その8~10まで使って受験に臨むのはあまり好ましくないな」ってことです。

イメージとして、「10のうち4~6ぐらいを使うイメージでよいのでないか」ということです。

10あるうちの8~10使わないと一生懸命やったことにならないというわけではありません。
4~6でも、2~3でも、与えられた時間に一生懸命取り組んでくれれば、精一杯やったと認めてあげてよいはずです。

「それでは難関校や最上位校に合格できない」

とおっしゃる方が多数いらっしゃるかもしれません。

しかし、冷静に考えていただければわかりますが、どれだけ努力を重ねたとしても、合格する可能性が100%になるわけではありません。
加えて、上を望めば望むほど、投じた努力に対して得られる効果は小さくなっていきます。

上を目指すこと、チャレンジすることは良いことですが、お子さんのポテンシャルに見合った学校をしっかりと選び、

「まあ、このあたりに合格できればいいな」

と納得できる併願校のラインを持って、親自身が自分の心を納得させるべきかと思います。

中学受験で「学校選び」には拘るべきだと思いますが、「偏差値」や「ランク付け」に拘ることは本当に無駄です。私立学校全体を見た時、偏差値でランク付けするほど大きな違いがあるわけではありませんので。

私が理想とする中学受験は、(親目線で)
「子供の自由時間を損なわない程度に無理なく勉強させ」
「その上で無理なく合格できる学校を複数選び」
「与えた時間の中だけ集中して勉強させ」
「選んだ学校のどこかに合格させること」

です。

そして、これが一番大事ですが、

「偏差値やランクなど、要らぬ情報、世間体などに惑わされず」
「合格した学校に親も子供も納得できるようにする」

ということですね。

情報収集のために周囲に目を向けることは時に必要ですが、最後は自分と子供です。

子供は「特定の学校に合格すること」を目指して頑張るかもしれませんが、親はそれにつきあいつつも、心の中では「合格した学校に親子で納得すること」をもう1つの目標として望むべきかなと思います。

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