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ニュースのコメントから学ぶ大学入試

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前回、大学受験における選抜種類(一般・総合・学校推薦)について記事にしました。

昨今は「総合型選抜」が人気であり、「私立はもとより、国立大学も一般選抜から総合型選抜に移行したい大学が多数ある」というような論調のニュースをよく目にします。
有名なところで言えば、東北大学などがそうですかね。
ただ、そうした記事のコメント欄で読者の声を拾っていくと、「国民の意見」みたいなものが見えてきて面白いものです。

私が見聞きした意見の概略とそれに対する個人の考えをまとめます。

〇総合型選抜は海外の大学の選抜方法に近いもので、今後はこの選抜方法に移行する大学が増える考えられている。
最近、花巻東高の佐々木選手がスタンフォード進学を決めたことで、海外有名大学という進路が注目されましたよね。
AOみたいに、「一芸入試」「スポーツ推薦枠」のイメージが強いと評価が下がる印象がありますが、学力も含めた(本当の意味での)総合評価であれば、それは望ましい評価という気がしますよね。
ただ、外の人間には各大学の評価・選考方針がわからないので、(個別に調べればわかるのかもしれませんが)、ある程度思い込みで判断してイメージを勝手に持っているのですよね。

〇「総合型選抜=学力が足りなくても有名大学に入れてしまう」は古い考え方だ
私も一般選抜に対して、それ以外の選抜方法についてはレベルが一段落ちるイメージを持っていました。古くは芸能人が有名私大に進学などというニュースがよくありましたからね。(あれはAO入試ってやつでしょうか?)。
ただ、「最近は違う」と言うことなのであれば、それは詳しく聞いてみたいし、「偏見」みたいなものは持たないようにしないといけないなと思っています。
個人的には、「ある程度の学力」を前提にしての評価なら、その子が「勉強以外に力を入れて取り組んだこと」が評価されるというのは、素晴らしいことのような気がします。

〇総合型選抜は学業以外の成果(受賞歴)や活動内容(ボランティア活動、コンテスト、研究活動その他)などが主な評価対象になるので、富裕層が有利である。
これはイメージとしてはそうなのだろうと思います。
ただ、お金をかけない活動が正当に評価されるなら、いくぶんかイメージが変わるのですけどね。
例えば、

海外でボランティア活動しました→「よい活動だね。頻繁に海外に行ける実家の財力も君の強みのひとつだよね」

なのか、

海外でボランティア活動しました→「海外渡航費等の投じたコストと考えると、それを君が出した成果から割り引いて評価しないと正しくないよね」

なのか?

前者は海外の大学に近いイメージ、後者は企業的な評価というイメージですが、どっち寄りの評価なのかというところですね。
日本人は「金持ちが優遇されるのは当たり前」という感覚が薄いので、後者の評価であれば総合型選抜の納得感も高まる気がします。

〇「総合型選抜」や「学校推薦型選抜」などの推薦入試は、高校3年間コツコツ努力してきた生徒が評価される制度でもある。
学力試験1発勝負は当日の体調にも左右されますし、必ずしも「その生徒の学力」を正確に判定するものではありません。その弱点を補う視点で推薦入試を評価する意見ですね。
一般選抜が「結果で評価する」ものであるとすれば、推薦系の選抜は「過程も評価する」ということで、これはこれで納得感のある意見だと思います。
私もコツコツ型の子供を持ったなら…、より強くこの意見を支持するでしょうね。

〇「学校推薦型選抜」は提携大学への進学や指定校推薦などが含まれるが、提携大学への進学においては成績優秀者から好きな学部を選択できるため、行きたい学部がある場合は気が抜けない。
これは容易に想像できますが、「付属校あるある」ってやつでしょうね。
このような決まりをもってしても、「入学後の学力では一般受験組が上」ということなのであれば、もはや「必要不可欠な仕組み」という気がします。気が緩み過ぎないためのね。

〇所謂「指定校推薦」では、往々にして学校内で同枠をめぐる駆け引き、「おまえは学力あるのだから一般受験しろ」というような理不尽な差配が存在する
これは個人的には経験したことがありませんが、本当に嫌ですね。
このように学内での選考に不透明さや恣意的な運用があると、その選抜自体の評価が下がります。文科省が取り締まった方がよい気がするぐらいです。

〇なんだかんだで、「一般選抜」の「試験1発勝負」は平等な制度である
この意見、すごく多いのですよね。日本人になじむ考え方なのかもしれませんね。
中学受験などは、大学受験以上に一発勝負なのですが、確かに私も「なんだかんだ平等だよな」という印象は持っています。
ただ、以下は私が特に主張したいことなのですが、

日本人は学力に重きを置きすぎ
日本人は「学生の本文は勉強」という意識が強すぎ

という気もしますし、

一般選抜の問題が難化しすぎるのは良くない
学力競争が激化するのは受験生全体に良い影響がない

と私は思っています。

社会人経験者は、「学歴や学力は社会人としての成功を保証するものではない」「求められる資質は少し異なる」という認識を持たれる方が多いと思います。
そうであるのに、大学入学前までの子供には「学業優先」「学力重視」という対応をしがちで、少し矛盾がありますよね。
そこの背景には、「学生の本文は勉強」という意識を柱にした「望ましい子供像」というのがあるのだと思います。
こういうところは、もう少し変わる余地があってもよいのではないかと思います。

後段の「一般入試の問題難化、競争の激化は良くない」
という考えですが、これは、「試験1発勝負→差をつけなければならない→問題難化」という負のスパイラルを懸念する意見です。
その先の何を危惧するのかというと、「燃え尽き」「いらぬ疲弊」ですよね。
結局、社会人になっても「学び」は継続しなければなりません。そのことは多くの方に同意いただけると思います。
そうであるとすれば、大学入試前の段階で多くの労力・時間を受験勉強に費やさざるを得ないような受験制度は、その子の人生にプラスになるのか? ひいては、日本の国益に資するのか? という課題意識を持っています。
私は、「大学入学時点で高い学力」を有していることより、「大学入学後にどんどん高等教育を吸収していく素養がある」ことの方が重要だと思っています。
そういう意味では、入学させてから振るい落としていくような方式の方が正しいと思いますけどね。

人間の人生における勉強量みたいなものをグラフ化したとして、
成人ぐらいまでは心身の成長があるため、右肩上がりになると思います。

それで、日本人の場合、(結果として)大学入試に人生のピークが来てしまうような波形になってしまうケースが多いのではないかと考えられます。
しかし、人生における目標などがまだはっきりしていない段階で、人生のピークとも思える努力が求められるなんて、ちょっと無駄というか、個人的にはそんな印象を持ちます。

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