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文集砲

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小学校6年生のこの時期になると、授業の時間を利用して卒業文集の制作などを進めている学校が多いと思います。

チリ太郎の学校もそうなのですが、何しろ作文苦手なチリ太郎だけに、担任の先生から個別連絡をいただくことがあります。

「〇月〇日の授業で構成メモまで作成しましたが、チリ太郎君はやりきれなかったので宿題としました。次の授業〇月〇日で下書きに入りますのでよろしくお願いします」

みたいな感じで、次のステップに進むたびにチリ太郎は宿題を持ち帰ってきます。

文集のテーマというと、「将来の夢」だとか「自分の成長した点と今後の目標について」みたいなものが定番で、チリ太郎の学校もそのようなテーマになっていたと思います。

ただでさえ作文が苦手なチリ太郎ですが、こうした「自分のことについて語るテーマ」が一番苦手とするところです。

保育園のときからそうでした。
卒園式で、同級生が「将来は先生になりたいです」とか元気に発表する中で、チリ太郎だけは苦笑いしながらモジモジして、最後は先生に助けてもらっていました。

まあ、チリ太郎には少々酷な卒園式であったわけですが、それと似たことが小学校でも繰り返されます。
世間が投げかける課題を軽くあしらうような処世術を持たないチリ太郎は、またしても追い詰められるわけです。

私は思います。

「大人というのは実に無神経に子供に夢を語らせたり、夢を決めさせようとしたりするよね」と。

例えば、文集テーマが「私の夢」だったとして、その時点で書くべきことが決まっている子供が何割ぐらいいるものでしょうか?
書くべきことが決まっていない子は、そのイベントのために自分の夢を「とりあえず」捻り出したり、取り繕ったりしなければいけないわけですよね。

そんな風に追い立てるようにして出させたものを見て、「いやー、子供らしいですねぇ」なんてどれだけ大人は能天気なのかなぁと。

小学生の卒業文集なんて、そんなに凝ったことをしなくたってよいと思うのですが、大人が思う子供らしさっていうのが、子供にとってはなかなか重荷になっているのではないかと思ってしまいます。

実は私自身にも嫌な思い出があります。
私が小6のとき、「将来の夢」というようなテーマで作文を提出することになりました。
私は「将来、あれやこれやして親孝行するぞ」という作文を書いて提出していたのですが、どうも、その下書きを母親に見られたようなのです。

それで、とある算数のテスト中のことです。担任の先生が私のところに来まして、こう言いました。

担:「青ティ君、あたなのお母さんから文集の作文を書きなおすように言われたから、あなたはテストを止めて、今から文集を書き直しなさい。」

信じられない話ですが、私はテストを中断させられ、一人だけ文集の書き直し作業をさせられました。
今だったら大問題ですが、今思い返すと先生も保護者に理不尽なクレームをつけられて不満があったのでしょうね。(子供に意趣返しするなって話ですが)

その時の算数のテスト、たしか70点くらいしか取れませんでした。(小学校のテストですから、簡単なやつです)

私は帰って母に文句を言いましたが、母は全然悪びれる様子もなく

母:「だって、あんな子供らしくない作文、他の家の人が見たら恥ずかしいじゃない。もっと子供らしい夢みたいな感じでなきゃ。」

今思えば、私はそういう面で大人びたところがあったのかもしれませんね。
そういう母親の意図を言われる前に汲んで書き直しましたよ。

特に強い思い入れがあったわけでもないのですが、「プロサッカー選手になりたい」なんてね。

こちらの方は、書いた自分が恥ずかしい思いをしました。

そんなことを思い出しながら、得意不得意に違いはあるものの、不器用さという点では親子で共通しているのかもしれないなぁと思いました。

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