チリ太郎の通う小学校では(どの学校も同じだと思いますが)、中学受験をする家庭について、予め申請のあった受験予定日ついては欠席扱いにはなりません。
また、今年度については、感染症対策のための自主欠席も欠席扱いにはなりませんので、まあ、試験に専念するためにお休みされていた方もほぼ無欠席扱いになっているものと思います。
そのあたりの取り扱いは都などの指針で一律だと思うものの、宿題の取り扱いはおそらく学校の裁量だと思います。
チリ太郎の通う小学校では、試験欠席・自主欠席中の宿題も後できっちりやらせる方針のようです。
チリ太郎は受験のための欠席は最小限で、栄東を受験した1/11と1/12、そして、東京・神奈川受験の2/1~2/3の計5日だけでした。
しかし、その5日の間に出た宿題については、後日、しっかりと課題として提出要請がありました。
私は受験日以外を除いてチリ太郎を学校に通わせ続けたぐらいなので、
「学校の宿題はやらなくていよい」とか「中受組には意味のない課題だ」と言うつもりはなく、むしろ「学校の宿題はやるべき(特にチリ太郎には必要)」と思っている方です。
ですので、
青:「5日分なので適当に休日に分散させつつ、サラっとやっちゃおう。」
とチリ太郎には声掛けしています。
本当に、本心から「無駄だ」という気持ちは一切ありません。
チリ太郎は中受もしましたので、学力の面では公立小学生の平均レベルより上にいると思います。
しかし、諸々のスキルは極めて普通か普通以下の小学生なので、学校の宿題は学力のためというより、それ以外の能力を養う意味でも真摯に取り組んでおいた方がよいと思っています。
問題なのは、
青:「これって、中受で自主的に欠席していた子にも、本当に全部出せって言うのかな?」
妻:「まあ、どうだろうねぇ。1ヶ月分とかになったら実質不可能な気もするけど。」
青:「でも、それで免除しちゃったら、そのラインはどこにあるのかって話になっちゃうよね。」
妻:「まあ、強制ではないから、最後までやらずにお茶を濁すんじゃない?」
青:「それはそれで気持ち悪いよね、親も子も。」
なんというか…、
画一的な取り扱いですと問題がありますし、
柔軟性を持たせすぎても、普通に全てこなした家庭から不満が出そうです。
なかなか難しい問題です。
学校の先生も大変です。
「中受に理解のある先生(や学校)の場合は…」みたいな括り方が適切であるという気もしません。
まあ、たかが宿題なのですが…
学校側は何のために課し、家庭や児童側は何のために取組んでいるのか…。
その目的と認識が一致しているかが問題ですよね。
私は前述のように、「宿題はチリ太郎にとって必要」と思っているのですが、チリ太郎の方は時々宿題を負担に感じていたりすることがあるようです。
でも、社会に出れば、このようなことは山ほどあります。
うまいこと言って回避するのが処世術という考え方もあるのですが、私は目指す生き方として、
「ゴネて『やらない』より、サラッと『やる』。相手の気持ちを上回るスピード・出来栄えで『やる』。その方が断然カッコイイ。」と思っています。
チリ太郎にはまだ理解できないかもしれませんが、精神の成長が追いついてくるまで、そういうことは言い続けたいと思います。
そうそう、最後に思いついてしまったので付け足しますが、
「学校の宿題の出し方は難しいよね」では能が無いので、「こんな宿題の出し方はどうか?」という私案を1つ。
宿題の量や難易度を選べるようにして、子供たちに選ばせたらどうでしょうか?
例えば漢字の宿題なら
レベル1:5つの漢字を3回ずつ書き取ろう
レベル2:5つの漢字を3回ずつ書き取り、それぞれに例文を作成しよう
レベル3:5つの漢字について、新聞や雑誌からその漢字を探し、その記事を切り抜こう(何新聞の何面かも書こう)
レベル4:5つの漢字を全て使用する詩を作ってみよう(時数は自由だが、必ず繋がりのある文章とすること)
みたいな感じですと負担感を選べますし、負けん気の強い子ならレベル4をやってやろうというモチベーションが生まれますよね。