中高一貫校生活で心配なこと。
学業不振、いじめ、学校になじめない等…
こんなところが心配事として挙げられると思います。
学校になじめないというのは少々漠然としていますが、例えば子供に友達ができずにいるようだと少々心配になったりします。
チリ太郎もそういう傾向がありますが、妻などはこうした点を明確に否定します。
妻:「今の時代、ボッチだと格好悪いとかそういう時代じゃないでしょ。女子で私たちの時代はあったけどさ…。だいたい人と群れるのを好む子と好まない子がいて、好まないなら人の中に入っていかなくていい時代じゃない?」
青:「そうね、そう自信をもって言われるとそういう気がしてくるな。チリ太郎は別に友達がいなくて寂しいという性格じゃないしね。まあ、何を考えているかわからないところがあるけど」
妻:「就職してやっていけるだけの社会性はついてほしいけどさ。それと友達に囲まれる生活は別だから」
青:「なるほど、頼もしいお母さんですね。私の母などは、友達、友達って結構うるさかったからなぁ…。そういう様子が古い人の充実している学校生活のイメージなんだよなぁ」
一方、「学業不振」については、「深海魚」なんて言葉もありますね。(あまり好きな言葉ではないですが)
私の時代ですと、「落ちこぼれ」なんて言いますが、そういうダイレクトな表現は好まれない時代です。
学業不振については、私が中学校の頃に通っていた塾の先生がこんなことを言っていました。
先:「『落ちこぼれ』っていうのはみんな同じなんだ。有名高校の落ちこぼれは普通の高校の落ちこぼれより優秀なんてことはない。落ちこぼれたらみんな同じだ」
これについては程度にもよりますが、私も概ね同じ考えを持っています。
まあ、そういう子供を持った経験があるわけではありませんが、例えばチリ太郎が今の学校で落ちこぼれたとして、「偏差値60超の学校の落ちこぼれだからまだマシだ」なんてことは絶対にないと思います。
このことは、先の塾の先生の言葉としてチリ太郎にははっきりと言い聞かせています。
注:落ちこぼれたら人生終わりみたいな言い方もしません。ただ、人生を大きく遠回りすることになるとは言います。
もし、私と同じような考えをお持ちの親御さんなら、敢えて偏差値の高い中学校に子供を入れたことに少々不安を感じることでしょう。
また、このことについてもう1つ付け加えれば、私はチリ太郎が学業不振に陥らないようケアしているつもりですが、親の努力の方向性として
「がんばらせる」ことよりも「守ること」を心がけています。
中学ぐらいで学業不振になる子というのは、もともと学習障害的な要素を持っているケースが多いと思うのですが、ではそれ以外の子が学業不振になった場合、本人の努力不足なのか?
そう考えると、多くの人は「そうではない」と気づくではないでしょうか。
気を付けたいのは
・生活の乱れ
・心の乱れ
・ちょっとした躓き
だと思っています。
高校生ぐらいですと指導方法も変わってきますが、中学生ぐらいならこれらは「親が守ってやること」で回避することができることです。
私はチリ太郎を随分と甘やかして育てているところがありますが、変に突き放すぐらいなら過保護なぐらいが良いと思っています。