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人生前半の乗り切り方

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ジャガー家というべきか、木下家というべきかわからないのですが、大維志君のニュースがちょっとした騒動になりましたね。
高校受験の結果を随時インスタで公表し、3月半ばの時点で6回目の不合格が確定と周囲を心配させました。
結果的には合格を勝ち取り、インスタライブで「トータルの結果は1勝9敗」であったことを発表したようです(お父様が)。
私はネットニュースの後追い記事で情報を得ておりますので、詳しいことはほとんどわからないのですけどね。(最近は芸能人のSNSを見てニュースが書けてしまう時代なので、情報の精度どころか真偽すら怪しいものもありますが…。)

3年前、朝の情報番組(スッキリ)で彼の中受を特集していた際は、放送の何回かをリアルタイムで見ていました。
「あまり勉強向きではなさそうだな…」と誰もが思ったと思いますが、その一方で、大人も驚くビッグマウスぶりが世にうけて、企画全般としては好評だった気がします。(まだ子供らしくてかわいかったということもあるかと思います)

その後、区内の有名公立中学校に進学したとニュースで見たときは、「あれっ、合格したところに行かなかったのだな…」とは思っていたのですが、その意図するところは「高校受験におけるリベンジ」だったのでしょうかね…。今回の結果を見る限り、受験に真摯に向き合えていたのか、準備ができていたのか疑問です。
受験というのは学力だけではなく内申点や面接なども絡む総合的なものですが、結果だけ見れば足らない面があったのは明らかでしょう。

さて、彼のことについて言いたいことはあるものの、まあ、他の方がさんざんコメントされていますし、今後もまだいろいろ出てくるのでしょうから控えるとして、彼のニュースを見ていて思うことを記事にすることとします。

彼はおそらく、性格が「学業向き」ではないですね。
知能が低いという感じはしないのですが、もしかしたら、学校で教える内容には興味が持てないのかもしれません。
また、それ以上に勉強に必要な謙虚さとか、学習への意欲、興味の指向性など、性格や興味の方向性などの影響が大きいのかもしれません。
いずれにしましても、世間並というところを基準にすると学業への意欲とか性格的な面で「学業には向いていない」ということが言えると思います。
(でも、それが良いとか悪いとかいう話ではありません)

人生の前期(45歳ぐらいまで)を大まかに前後半に分けるとすれば、小学校高学年から大学卒業ぐらいまでの前半は、知能、性格両面で学業に向いている子が圧倒的に生きやすく、そこにアドバンテージが無い子は少し苦労したり、生きづらく感じることがあったりします。

そして、社会に出て就職などをする後半になりますと、今度は学業面よりも別な要素の方が必要になってきたりします。例えば、対人関係のスキルなどは最たるものですね。ただ、ここで必要とされる能力は割と多種多様です。

ひと昔前までは、人生の前期前半を学力で乗り切り、高学歴をもって良い会社に入ったら、そこから先は惰性で行けなくもない世の中でした。
そういう世の中ですと、大学受験は人生の前期を決定づける最重要要素であったでしょう。

今も多少はそういう名残はありますが、それでも、昔に比べれば多様な人材が社会で活躍できる時代になってきています。
個人的には大変よい社会の変化だと思います。
勉強が多少できなくても「大人になったらいろいろチャンスがあって、楽しい生活が待っているぞ」と思える世の中であってもらいたいものです。

我が家の話になりますが、

チリ太郎は学業面では、(高望みしすぎなければ)ある程度やっていけるだろうという思いがあります。
そうであれば、人生前期の前半は比較的楽しくやっていける素質を持っているといえるでしょう。
しかし、その楽しくやっている期間に次の段階(大学以降)に備えて必要な学びをしなければ、ちょっと残酷な言い方をすれば「お勉強はできるかもしれないが、社会人としては残念な人」というレッテルを貼られてしまうかもしれません。

この点、中受組の皆さんはほぼ同じような立場だと思います。
中受組のお子さんはその時点で「学業にアドバンテージを持っている子」がほとんどだと思いますが、どんなに偏差値の高い学校に合格しようと、その先の備えを怠らない方がよいですね。備えを怠れば、人生の前期後半は(自分が思い描いていた人生よりも)しりすぼみな感じになってしまうことでしょう。

反対に、大維志君のような子は不利なフィールド(=学業)にあまり固執しない方がよいと思います。
もちろん、夢を持って不利なフィールドで努力を続けることも美徳ですが、今はそういう時代ではないと私は思います。
不利な学業に固執しない。そこに変なプライドを持たない。
人生の前期後半に向けて自分の良さをどんどん伸ばしていくことを心掛けて、伸ばした才能を生かせる場所を早く見つけて、そこに向けた準備を人よりも早めにすべきかなと思います。その方が幸せに近いですね。

もちろん、人生をどう生きるかはその人の自由ですから、私の指摘は「大きなお世話」なのです。でも、どんな人でも人生の最後には「楽しかった、幸せだった」と思ってほしい。

大人というのは長く生きている分、人生の乗り切り方や目指す方向性が「見える」立場ですから、しかるべき立場の大人がしっかりと助言すること、子はその助言に耳を傾ける姿勢が必要だと思います。
このシンプルな2つの要素が揃わないと、咲くべき花もなかなか咲きません。

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