この時機になりますと、テレビ・新聞ともに、戦争や原子爆弾についての報道が増えます。
8月6日の広島平和記念式典から、8月9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典を経て、8月15日の終戦記念日までは、日本においては戦争の総括・反省と世界の平和について考える期間として定着しており、戦後に定着した文化と言ってもよいかもしれません。
チリ太郎も、テレビで特集していた広島の被爆施設の保存問題を無言でじっと見ていました。
普段チリ太郎はテレビをあまり見ませんので、何かに興味を惹かれてじっと見ているときは、私は無用な解説はしないようにしています。
ただ、チリ太郎が何かを知って、何かを感じてくれれば、それが立派な学びです。
もう少し情報が蓄積されてきて、自分なりの解釈をしようと思ったときに、はじめて大人が説明するぐらいでちょうどよいのかなと思います。特に、戦争のような、難しいテーマについては。
実は、私の亡くなった祖父は零戦のパイロットとして戦地に赴いています。
私が小さかった頃、近くに住んでいた祖父母とは毎日交流し、私は博識だった祖父が大好きでした。
祖父母の家の玄関には、零戦の小さな模型が飾ってあって、私は小さい頃、
「あのプラモデルちょうだい」
とねだりましたが、祖父は、
「あれは大事だから、まだやれんなぁ」
と言っていました。
私が小学生の頃、確か、学校の宿題で戦争を扱った本の読書感想文を書いたとき、それを読んだ祖父が、
「青ちゃん、よかったら、今度は『特攻部隊』についての感想文を書いてみんか? 戦争の末期に、そういう作戦で多くの若者が命を落としたんだ。」
と切り出しました。
私は、戦争についてさらに深堀して勉強するには、まだ精神的に幼かったのでしょう。
祖父のその提案をやんわりと断りました。
現在の私は、戦争の報道を見ると必ず祖父を思い出します。
小さい頃には、まだそうしたことを結び付けて考えることができなかったのですが、大学、社会人で様々な経験を積んで、知識が補強され、人の感情についての洞察力がついたからなのでしょうね。
戦争を生き残った祖父が、当時小学生であった孫の私に何を伝えたかったのかなと思いだしては考えます。
そうすると、私とは縁遠い戦争というものについて、少しだけ私に関係のある出来事として考えることができます。
このように、子供にとって経験ある大人というのは、時に、その子の体験し得ない事象を結び付ける媒体になったりするものです。
お盆の帰省の是非について、メディアでさんざん取り上げられました。
田舎の祖父母に危険を及ぼす可能性と、孫の元気な顔を見せてあげる親孝行を天秤にかけるような話ですので、一律の基準は誰に出せるものでもないでしょう。
私は、冒頭で祖父との思い出を述べたように、子供が経験ある大人と交流するのは、他にかえがたい学びの場でもあると思っています。
「今年だけは特別な夏」という意見もありますが、来年の夏、会いたい人が元気でいるかは誰にもわかりません。
誰に何を言われたとしても、自分で責任を持って、自分と家族にとっての最善を判断するしかありませんね。