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誰しも暴力と無縁でいることはできない

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本日は少し刺激的な雑談で問題があるかもしれませんが…

この1週間、安倍さんのニュースをみてモヤモヤした思いが晴れませんでした。
一番モヤモヤしたのは、残された政治家が

「暴力には屈しない」

とか

「民主主義への挑戦だ」

などと、あたかも自身や民主主義制度は暴力とは無縁だといわんばかりの発言をしていたこと。

これらの発言には

「なんだかピントがズレてる気がするなぁ」

と感じた方も多かったのではないでしょうか。

ちょっと誤解を招く表現かもしれませんが、

「国家権力は即ち暴力である」

という言葉があります。
注:青ティは学生運動の闘士とかではありません

もしそういう言葉を突きつけられたら、政治家の皆さんはどう答えるのでしょうか?
まさか、「私が作った法律で苦しんだり、結果的に亡くなる国民がいたとして、それは暴力ではない」と言い切るのでしょうか?

また、もっとわかりやすい例で言えば、
平和的民主主義の国であっても、警察や軍隊といった「暴力装置」をもれなく持ち合わせているわけです。国政を担う政治家はそれに影響を与える立場にいますよね。

そういう立場にいることを自覚しているのであれば、

「ああいう蛮行と我々は別次元にいますよ」

というような態度にはならないと思うのです。
小学校の先生が児童に教えるレベルならば、

「暴力はよくない」
「暴力で何かを解決しようとするのは悪いこと」
「少なくとも自分自身は暴力を振るうことはやめましょう」

ぐらいの認識・発言にとどまっていても問題ないのですが、
大人を含む国民全体をけん引する政治家がその次元にとどまるようでは困ります。

そういう政治家がいたなら、私はその人を信用しないと思います。
例え世論向けのポーズであったとしても、政治家本人が本質的な部分を理解していることをうかがわせる「ワード選びのセンス」が欲しいところです。
(私のようにひねくれた国民もいますのでね。)

こんなことをいうと、ますます極左のレッテルを貼られてしまいそうですがね…。

しかし、先の記事でも少し書きましたが、私自身は国防の重要性を認識している方だと思います。
ただ、自衛のための軍隊であっても、それを行使する瞬間は「暴力」ではないのですかね?
少なくとも、私はそれを「暴力」だと認識しています。

まして、国民を守る必要性から9条改正を目指そうという人たちが、

「いや、それとこれとは別でしょ」

などという飛躍した説明をしないかとヒヤヒヤします。
(PKOのときの国会でも、何やら覚束ない答弁があった気がします)
これから、そういう理念面での討論、現実の運用面での討論をしていくのではないですか?

私のような平民は大した権力も持ち合わせていないため、「暴力」とは遠いところにいます。
それでも、私自身が直接、間接に人に何かを強いたり、人を傷つけることがあるとすれば、それは「暴力」となりうることを認識しています。(そういものの一部を〇〇ハラって言いますよね)

政治家はその職自体が「暴力」に近い存在ですから、そこの認識を誤らないでもらいたいものです。

政治家が、「私は暴力と無縁だ」などという空想じみた、あるいは自らの影響力を認識しない発言をしているうちは、憲法改正はまあまあリスクの高い判断に思えます。
もちろん、いざ憲法を改正するときは国民投票を経てということになりますので、政治家だけの責任ではないのですが、自覚なきリーダーが自覚なき国民を導けるのかなと思うと、なんとも暗い気持ちになります。

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