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肯定派のネガティブな意見

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本日も中学受験の話

私は中学受験を肯定的に考えている方ですが、当然のことながら万人に推奨すべきものではないと考えています。
その子の能力とキャラクターに合っていて、その子の人生をある程度見越したときに、中学受験の要不要はおのずと決まると思っています。

学力面にフォーカスして、少し具体的な例を示します。

「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人」

という言葉があります。

幼い頃に特異な才能を持っていたとしても、成長するにつれて凡庸な人になってしまう例を表した言葉で、全体としてはネガティブなエピソードですよね。
例えば、我が子にこうした人生を歩ませたいかと問うたなら、ほぼ全員が「No」と答えるでしょう。

しかし、中学受験にはこうしたネガティブな事例のレールに我が子を乗せてしまうリスクがあります。

「あの人、実は開成出身で、大学は○○、それで今は契約社員をやってるらしいよ」

こういうパターンの人、結構いらっしゃいます。

開成=神童という括りは少々乱暴としても、やっぱり世間は肩書でその人を判断しますからね。間違いなく、先のネガティブなフレーズが引用されることでしょう。

中学受験で最上位校に合格してしまう子というのは、ある意味、そこから順調な人生を歩んだとしても、

開成→東大→官僚・士業・商社マンやコンサル

開成→MARCHの時点でものすごく右肩下がり感を感じてしまう。
それぐらい、私立中学最高峰の格付けは高いということです。(世間の目として)

まあ、

開成→早稲田→総理大臣

というV字回復の人生を歩んだ人もいますね。
そういう人生の面白さについては別の記事を書きたいぐらいですが…。

そんなことを考えると、中学受験の時点で能力本位で志望校選択をするというのも考えものです。
(偏差値的に)意図的に志望校を落とした方が良いとまでは言いませんが、

「目指すならトップを目指せ」

みたいな煽り方は私は好みません。子供の人生において、心配事の方が増えてしまいそう。

偏見に満ちた考え方ですかね?

でも、私はチリ太郎の中学受験のとき、結構真剣に考えていました。

「この子の成長曲線は晩成型になりそうだから、中受もそれを見越して無理をさせたくない」

まあ、その子次第ですけどね。
中学受験自体が競争なので、そんな余裕を持って考えられないとは思いますが、
中学受験は「偏差値を上げる」ことを目標とせず、「その子のポテンシャルを測る」ぐらいでよいと思っています。
勉強に取り組む中で、「得手不得手」「思考の方向性」「取り組む態度」など、いろいろ見えてくると思いますが、
そうした中に「キラリと光る部分」が確認できればそれで良しとすべきかなと。

多くの人が、様々な要素を持って、最終的には成績、偏差値が上がらないと「意味が無い」、「効果が無い」というふうに、成果主義にとらわれてしまいますが、小学6年生でそこまで求めたら、私はやりすぎだと思います。

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