今日は中学受験の話です。
つい先日、マンガ「2月の勝者」の21巻を読み終えました。同作品はこれが最終巻ですね。
「今頃かよ!」
というツッコミが入りそうですが…。
同コミックスの発売日は7月であるところ、私はレンタル(貸本)で済ませているため、リアルタイムの盛り上がりには必ず乗り遅れるのです。
このマンガ、チリ太郎の受験の頃から読んでいて、ドラマ化もされ、すごく楽しませてもらいました。
原作者がよく取材をされていて、マンガにありがちなストーリーの脚色もリアルの範疇を超えない。そういう絶妙なバランスが中受層の共感を得たのだと思います。
さて、ここから先はリアルな話です。
「2月の勝者」を読むと、主役格の子供たち(島津君や上杉君、前田さんや直江さん、柴田さんetc)はきっとこの素晴らしい経験(中学受験)を忘れないだろうなと思ったりします。
それがマンガを読んだ人の率直な感想。
中学受験というのはそれぐらいにドラマチックな出来事です。
でも、中学に入学して、1年ぐらいすると…
結構忘れちゃいます。
正直、島津君あたりが
「えーっと、俺はどこを受験したんだっけ…。開成を受けたのは覚えてるけど…。」
「塾のあの先生誰だったっけ…、黒…、黒谷…、黒田…」
なんて言うのを聞きたくはありませんが、実際にはそれに近い子が大勢いると思います。
私の中での中学受験のリアルというのはそういうもの。
チリ太郎もそうですし、チリ太郎の学校の生徒さんを見ても思うのですが、中学受験をして入学して来た子たちは、自身の受験を終えると意外と中学受験への関心が薄くなる印象があります。男子だからというのもあるかもしれませんけどね。
そのように、子供たちは意外とあっさり、いろんなことを忘れていきます。
また、例えば次の年代の受験について、例えば「応募者の増減」「合格者平均点が(入試の難易度が)どうだった」「自身の学校の偏差値が上下した」みたいなこともあまり関心を示しませんね。
「中学受験」ということ自体への関心がすごく薄くなっていきます。
これとは逆に、親御さんはいつまでも覚えていたりしますけどね。
大人は皆、
「小6時点で極限に近い受験勉強を経験する。その子の人生の中でもかなり印象深い出来事になるだろう。一生の糧になるだろう」
なんて思ったりもします。
私も、ダラダラとブログを続けていますし、そんな親の一例かもしれません。
子供たちの様子を見ていると、改めて、
「子供の成長は凄い。目には見えないけど、内面のキャパシティが広がりつつ情報もどんどん更新されていっているのだな」
と実感したりします。
先に述べたように、親は意外と中学受験の思い出の中に留まっていたりするので、そうした子供の成長は寂しくもあったりします。
あんなに勉強して
模試やらテストも受けて
学校見学にも行って
使える時間のほとんどを受験に費やした思い出
でも、子供たちはいともあっさりと忘れます。
中学受験の思い出を後生大事に取っておいたりもしません。
あの時の我が子、小6の我が子は、本当に精一杯の日々を送っていたのかもしれませんが、そこから1、2年後の同じ子はもっとレベルの高い学習を日々こなしていたりします。
それが子供の成長というやつですね。
これはどんな子供にも等しく言えることです。
受験で第一志望に合格した子も、結果が思わしくなかった子も関係はありません。
必ず等しく、あの頃の自分を超えて成長します。
そう考えてみたとき、中学受験において
「挫折感」「後悔」
というのは本当に無用だなと感じます。
子供は間違いなく成長していきます。
入試の結果や、受験勉強中の成績というのは、
「その時の成績、その時の理解度」
でしかありません。
中学以降も続く勉強の中で、その時にできなかったこと、そのときに理解できなかったこともいずれ理解します。
今年度受験の方は本番日が4ヶ月後、3ヶ月後と近づく中、緊張感が高まる一方かと思います。
しかし、受験日に拘りすぎることなく、あくまで通過点としてお子さんの成長を見守る意識を持たれたらよいかなと思っています。