先週、チリ太郎の学校の中間テストが終了しました。
テスト期間中、私はチリ太郎に
青:「今日のテストの調子はどうだった? 明日の教科は?」
というような質問を繰り返しました。
チリ太郎は多くは語らないものの、自分なりの手ごたえなどは話してくれました。
中高生って難しい年頃ですが、何等かのコミュニケーションが取れていると安心です。
例えば、我が家の場合、最後の最後は
共通でやっているゲームの話
一緒に見たテレビ番組の話
この2つについては、コミュニケーションの鉄板テーマです。
妻がチリ太郎の態度にブチ切れて場が険悪になった後ですら、これらの話題では普通に会話します。(傍から見ていて、恐ろしい程の切り替え力だと思います)
逆に、超反応が鈍い話題と言えば、
・将来の話、進路の話
→これはほとんど話してくれません
・恋愛の話
→まあ、聞いたこともありませんが、おそらく聞いても話してはくれません
・学校生活の話
→出来事について客観的には話してくれますが、「自分がどう関わり、どう思ったか」という点についてはあまり話してくれません
そんな特徴があります。
総じてチリ太郎とのコミュニケーションは、「学校関連の話題は最小限」であり「ゲームやテレビなどの話題で盛り上がる」という感じ。
まあ、どこのご家庭も同じだと思いますが、親が思う「肝心なこと」について、思春期の子は会話を避けがちですよね。
私は個人的に、そこに正面から特攻するのは親子関係がこじれるので止めた方がよいと思っています。(本当に聞かなければならない時だけですね)
相手が嫌がっているのであれば、その話題は一旦置いておく。
仮に、聞き出せたとしても、それは会話というより尋問のようになってしまうでしょうからね。
学業の話題はチリ太郎的にはあまり話したいテーマではなさそうですが、私が声掛けの仕方を工夫しています。
まあ、部活動とかそういう切り口でもよいのですが、とにかく学校生活全般についてあまり話したがらないので、断片的にでも情報収集というところです。
本人が話したがらないといっても、それに関する会話がゼロにならないようにという配慮ですね。
そして、そこで得た情報から、我が子の学校生活や気持ちなどを推測するわけです。
今回の中間テストを終えた後も、こんなやりとりがありました。
青:「最終日は古典があったよね。出来はどうだった?」
チ:「うーん、まあ」
青:「チリ太郎は古典得意だし、普通にできたって感じかな?」
チ:「そういえば『百人一首出す』って言ってたなぁと」
青:「えっ、百人一首出ちゃった? 全然覚えてないでしょ?」
チ:「うん。その部分は白紙になりました」
いくつか聞き出せたことの1つがこんな会話です。
この会話の解説ですが、
「テスト前に古典の先生から『テストで百人一首に係る問題を出すから』と予告があったけど、全くやらなかったからその部分が白紙解答になっちゃたなぁ」
ということです。
チリ太郎にはよくあることなのですが、
学校の授業はおそらく真面目に聞いているのですが、先生が「これをやってくるように」と指示したことは大抵スルーするのです。まるで、「家では勉強しない」と決めているかのように。
ですので、時々テストでボコッと白紙の部分が発生します。
ということで、チリ太郎が折角話してくれたので、私の方は
青:「そうか~、おとさんはチリ太郎と違って古典は苦手だったけど、百人一首はサービス問題だな。何せ、小4の時の担任の先生が熱心に教えてくれたから」
とだけ話しておきました。
(当然のことながら、「やればよかったのに」とか、「なぜやらない」といったことは言いません)
チリ太郎は学校では、スマホルール、服装、休み時間の遊びなど、ダメと言われたことはキッチリ守るタイプなので、根は真面目なタイプだと思います。
しかし、「家でやってきてね」という指示はガン無視するので、真面目なのか不真面目なのかがわかりません。
そこに確固たる信念があるのか、ただ何となくなのかはわかりませんが、
傾向から推測するに、「学校では勉強する」「家ではリラックスする」というオンオフを重視する子なのかもしれませんね。
機会があったら、そのあたりのことも聞いてみたいと思います。
0才から一緒にいて、面倒を見ているわけなので、我が子のことは知っている。
親は皆そう思っていると思いますが、思春期にコミュニケーションが途絶えると、子供の成長と変化に親がついていけなくなってしまう可能性があると思います。
親が知りたりと思う分野は断片的に情報収集して、それをつなぎ合わせ、現在の我が子像を構築してみるということを私はしています。
そんな苦労をしなくてよいほどずっと会話が絶えないなら言うことありませんけどね。
意外と、どこのご家庭も苦労していると思うのです。
我が家も多分に漏れずですが、いろいろ工夫しています。