広陵高校に恨みがあるわけではありませんが、話題のニュースから題材を取りやすいと思ったので悪しからず。
甲子園を途中辞退した広陵高校の問題で、当初(1月頃)に起きた暴力事件は「寮で禁止されているカップラーメンを1年生が勝手に食べたことから、上級生が当該部員に暴力等をふるった」というものでした。
現在も連載中の漫画で「バトルスタディーズ」という野球漫画があります。
PL学園高校出身のなきぼくろ氏の実体験を基にした作品で、寮生活、(付き人制度などの)厳しい上下関係で有名であったPL学園野球部の様子が作品の中で描かれています。(作品中ではDL学園)
PL学園野球部は暴力問題などに端を発し10年以上前に部員募集停止など事実上の廃部となっていますが、私の世代で言えば「まさかあのPLが」ですが、その先例を知る広陵高校がまさか似たような環境ってことは無いよなと少しだけ頭をよぎりました。
しかし、カップラーメン禁止て…。
それぐらい好きにさせてやれよと多くの人が思ったはずです。
ただ、私はこのニュースを見て、違うことを思いました。
この「カップラーメン禁止」のルールがつくられたのには、どんな背景があるのか?
そこが気になりました。
私的にはその理由が知りたい。
想像としてまず思いつく理由は、
カップラーメンがお菓子やジュースなどと同じく「嗜好品」と認識されていて、そうした嗜好品は寮では自由に飲み食いできない。嗜好品は精神を堕落させる。ハングリー精神を養うために禁欲する。
というような理由。
そして、これを破った場合、
「皆我慢しているのに」
という怒りも相まって集団で制裁に走る。
これは私のような昭和世代には実に馴染みのある行動理論です。
ただ、他の理由の可能性もありますよね。
例えば、
寮では部員の栄養は全て管理されており、補食を希望するのであれば寮の栄養士に相談をすべきである。自己判断での間食はアスリート失格であり許されない。
みたいな理由。
この場合、前者よりは理由が大分マシに感じられると思います。
このルールが守れない者はアスリートとしての心構えをしっかりと指導することになるでしょう。そして、それでも守れないならば、そもそもチーム方針に合っていない選手として放出することになります。
背景にある思想がマシだと、少し指導法もマシになりそうなイメージがあります。
私は明確な理由とか思想が見えないルールがあると、確認したくなる性分です。
こういう性格の人、会社にいると面倒くさいです。
現代人は思考もショートカットする人が多くなっていて、従前からあるルールに意外と従順だったりします。そこに疑問を持つとエネルギーを使いますからね。そういう考えなくてもよいと思っていることを指摘してくる人は煙たがられます。
でも、前述のようにルールの背景を踏まえると指導のニュアンスが変わる場合ってありませんかね?
また、知らず知らずに本来の趣旨を逸脱したルールに縛られていたってことありませんか?
だから私は敢えて、自分の頭で再度確認する意味も込めて、「このルールの背景って何だろうね」と問うわけです。
少し話は飛びますが、学業や学校運営全般でも全く同じことが言えます。
最近の例で言えばブラック校則なんてそうですよね。
校則ができたときは、その時代の常識に叶ったルールであった。
男子の髪型は坊主
女子の下着は白
今では大問題ですが、昭和の頃には少年らしさ、少女らしさの表れとして割と共通理解が得られた考え方であったのでしょう。
その校則を大事に大事に50年運用してきたら、現代の感覚では完全にアウトであった。
こういう「ルール」とか「システム」とか「行事」などは、私は随時点検し見直すべきものだと思っています。それこそ、気持ちの面では1年更新です。
一番危険なのは、そうした「ルール」とか「システム」とか「行事」自体が「我が校の伝統」であると勘違いすることです。
「ルール」や「システム」や「行事」なんて、時が移ろえばやがて破綻するものです。
そんなものに固執したら、組織自体がやられてしまいます。
伝統はもっと抽象的なものとして、柔軟性を持たせながら保持するべき。
世の中の「伝統」を持つ学校も、そこのところを間違えないとよいなと思います。