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幼児教育のパラドクス

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本日は幼児教育について書いてみたいと思います。
毎回思いつきで申し訳ありません。

ふと、なんでそんなことを書いてみようと思ったのか。

電車に乗っていて、そういえば保育園の頃のチリ太郎って駅の名前をたくさん覚えてたよなぁと思い出しました。
あと、アンパンマンの英語学習のおもちゃ(タッチペンでタッチすると英語が返ってくるやつ)でよく遊んでたよなぁと。

そんな様子を見て、私の母(チリ太郎のおばあちゃん)は「この子はすごいから、もっといろいろ覚えさせた方がよい」と言って世界の国旗がデザインされたおもちゃを送って寄こしたりしましたし、通っていた保育園の先生の間では、「チリ太郎君と言えば流ちょうな英語だよね」なんて言われていたりしていました。

でも、そういう能力って小学校に入る頃にはきれいさっぱり消えてたのですよね。

駅名は中央線や武蔵野線の駅名を諳(そら)んじる勢いだったのに、ほとんど忘れています。
英単語も、「納豆」なんてマニアックな単語まで覚えていたのに、今は英語学習に四苦八苦しています。

世の中の多くの親御さんも子育てについて同じような経験をした方が多いのではないかと思います。
子供は幼少期にすごい暗記力を発揮したりするけど、多くの記憶は学齢期に消失してしまう。そんな経験です。

我が家はもともと幼児教育というものには積極的ではありませんでした。
ただ、仮に積極的に取り組んでいるご家庭でも、上記のような経験からすると、

「継続してやり切らないと目に見えるような成果は出にくい」

のではないかと想像してしまいます。

英語や英会話などを習わせるとしても、学習、環境などを学齢期まで継続し続けないと、かなりの確率で丸ごと忘れてしまうと思います。
多分、記憶が薄れて忘れてしまうのではなく、人間の成長に合わせて他に覚えるべきことが増えてくるので、当面必要ない暗記したような記憶は消去されてしまうのだと思います。
生活に密着していて忘れると困るような事項なら覚えていると思いますけどね。(学術的な裏付けのない、ただの私の想像です)

私はチリ太郎を育てる上で、ある程度頭の良い子に育って欲しいと思って育ててきましたが、学習系の特別な習い事はさせませんでした。
それよりも一緒に遊んでいたかったですし、チリ太郎もそれを望んでいた気がします。
唯一、やりたかったけど続けられなかったのは「読み聞かせ」ですね。
これは親子の時間の妨げにもならず、子供も喜びそうで学力アップにもつながりそうなことだと思ったのですが、親の根気が全く続きませんでした。

結局、私がチリ太郎の学力を認識しはじめたのは小学4年生頃になってのことです。
多分、小学校に入ってからのチリ太郎は何かに突出するような頭の良さを発揮したことはなかったと思いますが、小4で受けさせた全国統一小学生テストの成績はまあまあ良い成績でした。

別に、早期教育が悪いとは思いませんが、やっぱり人間の成長というのは勝手にバランスをとるというのでしょうかね…。学習以外の事項が備わっていないと、最後に伸び悩むような気がします。
公文や学習塾に早めに入れて勉強させればその時はある程度の成果が出る気がしますが、それは小学校5年生や6年生で受験勉強が本格化する頃に生きるのかどうか(又は大学受験まで見据えてどうか?)。私は、こういう学習系の習い事ほど、早期(幼稚園や小学1・2年生頃)に始める効果は薄いのではないかと思っています。

むしろ、その子の学力を伸ばすためには、幼少期にしっかり遊ばせたり、好きなことを思いっきりやらせたり、いろいろなところに連れて行ったり、まったく本人の記憶に残っていなくても、そのようにして体験などを重視して育てた方がよいと思っています。

まあ、あまり言いすぎると幼児教育・早期教育自体を否定するようなニュアンスに受け取られそうですが、そうではありません。

ちょっとひねくれた考え方ですが、

幼児教育って本人が望むことというより親の満足のためにすることだと思っています。

しかし、親が満足するためには何かを教え込んで子供が成長しているように見せる必要があります。
そのような教育だとしたら、結構危険かなぁと思うのです。

むしろ、学力を伸ばすための下地作りのような、目に見えないような部分を啓発するようなものならアリかなぁって気がします。

ただ、その場合は成果の見えにくいものにお金を払うことになるので、親自身がどうやって自分を納得させるかという問題が出てきます。

幼児教育って、成果が出ているように見えるものを疑い、変化に乏しいものこそ信じるという、そんなパラドクスを抱えたものなのかなと思います。

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