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学歴は競争の成果ではあるが

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前回記事に触発されてのことですが、今回は個別のニュースから離れ日本の「学歴」について考えてみたいと思います。

「学歴」とは何か?
一般的には自身が受けてきた教育の経歴を意味すると思いますが、世の中では「高学歴」などと高低で論じられるように、「どのぐらいのレベルの大学等に所属していたか」という意味で使用されることが多いですね。

日本の社会では、高学歴が条件の良い就職や豊かな生活に繋がっていくと長く信じられて来ましたが、近年は「そうした図式は崩れる」という意味で、「学歴社会は崩壊する」「学歴は価値を失っていく」と言われて久しいです。
果たして令和の現代、学歴は無意味なものになっているでしょうか?

私の好きな漫画家で「ドラゴン桜」他の著者として知られる三田紀房氏は、作品の中でよくご自身の考え方を表現されていますが、

・日本の大学入試システムは諸外国と比較しても超優秀な制度だ
・学歴という考え方も同様に有効だ

と主張されておられたと思います。
この考え方は、主に産業界(又は国家公務員等)に優秀な人材を供給するためのシステムとしての側面であり、同氏は

・故にこの制度は変える必要がないし、(完成度が高いから)今後も変わる可能性が低い

というふうに主張されていたと思います。

だから、「東大にいけぇ~ぃ」的な
(そのマンガだったかどうか、忘れましたが…。)

まあ、私の見立てでは

確かに現代は「学歴だけで一生安泰」などという世の中ではなくなりましたが、「学歴社会が崩壊する」というほど意味をなくしてはいないと感じます。

再度三田氏の話に戻りますが、氏は学歴について
「やりたいことが見つかっていなくても、学歴を得ておくことで将来の広がり方が変わってくる」
「学歴を名刺代わりとして、自分のやりたいことを有利に進めていくことができる」

というような説明をされていたと記憶しています。
(これは「ドラゴン桜」や「ドラゴン桜2」だったと思います)

つまり、「学歴を得て一生安泰などということは無いが、間違いなく自分の人生を有利に進めることができる」

という意味で、学歴は依然として有効だというわけです。

この点は納得するところも多く、現在の社会の認識(少なくとも私が生活する階層では)と大きくずれるものではないと思います。
ですので、多くの親御さんは令和の現在も、「大学受験はできるだけ頑張り、よい大学に入っておくに越したことはない」と思っています。

一方で、学歴を得ることで人生が不利になることはあるのでしょうか?

真っ先に思いつくのは、社会に出た後に「残念な高学歴」と評価されてしまうリスクです。
これはこれでなかなか辛い話です。
しかし、現実の社会では以外とよく見聞きする話でもあります。

まあ、私が出会った高学歴な人というのは、実社会でも優秀で評価を得ている人が多いのですが、それゆえに「残念な人」が混ざっていると目立つという側面もあると思います。

こういう「残念な人」が生まれる仕組みというのは、

・大学受験で満足してしまい、その後の成長が鈍ってしまう
・大学受験までと社会に出てからの評価指標の変化に順応できない

みたいなことが原因かなと思っています。

つまり、上記の2点を踏まえずに闇雲に高学歴を求めるのは少々リスクがあり、
逆に、上記の2点を踏まえておけば、頑張って得た「学歴」を有効に生かすことができる

ということです。

ほんのわずかな違いだと思いますが、同じ大学に通った人の中でも人生が大きく変わっていきます。
本人が悟る部分もありますが、そもそも大学入試に至る前の声掛けがとても重要なのではないかと私は思っています。

では、どんな心構えで大学受験に臨むべきか。
親はどんな声掛けをすべきか。

よく、中学受験と大学受験は違うと言われますが、この注意点については本質的な部分で似ていると思っています。
即ち、「競争に飲まれない姿勢」が重要だと思っています。

学問というのは、本来は人と競うものではありません。
しかし、その分野で「学校の成績」とか「模試」には順位がつきますし、「入学試験」などは明確に「競争」だと言えます。
また、学術研究なども、本来は人と競うものではないのですが、実際には他の研究者より先に成果を出そうと「競争」してる部分があります。

これは理想と現実的な意味で仕方がないところなのですが、その「競争」の部分ばかり意識してしまうと疲弊したり燃え尽きたり、目的を見失ったりということが起こります。
また、仮に「競争」に勝ったとしても、ある意味誤った成功体験を積むことになりかねません。

学問は本来は人と競うものじゃない。だけど…

・入学試験で応募者多数ならば「選抜」せざるを得ないことがある
・研究資金を得ている関係上、他に先駆けて、あるいは他より優れた成果を示さなければならないことがある

だから、

・「学問」を嫌いにならないために、どこまでその「競争」に乗るのかを、判断する必要があること。
(中学受験なら、親がコントロールする必要があること)
・また同時に、そのようにある一面しか表さない「順位」は学問という広い領域の中ではあまり意味を持たないこと。
(つまり、偏差値が60の子は50の子より上にはいるけど、偏差値60の子が知らないことを偏差値50の子が知っている可能性は高いということ)

そういうことを理解した上で受験に臨む、子を応援するということが重要だと思っています。

これは、具体的な個の中での心構えとしてもそうですが、

例えば学習塾などは基本的に「競争を煽る指導」をしがちなので、そういうところに子が通っているなら、「親はそこに同調しすぎず、一歩引く」というように、大局的な視点でバランスをとるという意味でも同じことが言えると思います。

まあ、「競争一辺倒」で得た学歴、あるいは学齢を「競争の結果」としてしか見ない姿勢は、あまり良い人生に繋がらないということですね。(これが今の私の考え)

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