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欠けたるを補う人

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最近のニュース。
兵庫県の斎藤元彦知事のニュースに全国民が避難轟々です。

ただ、私は少し引いた目で見ています。

そんな私の目に映る斎藤知事は、
若いからかもしれませんが、昔の「嫌われ政治家」のようなふてぶてしさは感じられず、
むしろ、追い詰められてきた昨今は、少しの儚さ、線の細さを見せている気がします。

総合的な人物像としては、「腹黒い人」「狡猾な人」というより「何かが欠落している人」という印象ですね。

この方と関わったばかりに命を落とした人がいますので、あまり不謹慎なことは言えません。ただ、このように「何かが欠落している人」というのはとても興味深いものです。

私もそうですし、多くの人も「何かが欠落している」ことは多いと思います。

例えば、
倫理観
金銭感覚
他者への愛情
根気
などなど、

人間の内面を構成するいろいろな要素の一部が、大きく、あるいは少しだけ、欠落してしまっていることがあります。

多くの場合、こうした欠落は家庭での躾や教育の中で矯正されます。(矯正されるというより、矯正が試みられる)
また、無自覚な場合もありますが、当人も社会生活の中でこうした欠落が表面化しないよう振舞うようになります。

ただ、長い人生の中でそうしたものが表面化することがあり、自分や他者を不幸にする場合があります。

自分の中の欠落に無自覚で生きてきた人の場合、そういう場にあって事態が混乱します。

なぜあの人は自らを省みないのか?
なぜ非を認めないのか?
心が痛むことがないのか?

他の人から見ると全く理解できない。
異星人にすら見えるかもしれません。

ただ、何かが大きく欠けてしまっている人というのはそういうものであり、私も他人から見たら大して違わないかもしれません。
それが最悪のシチュエーションで表面化し、大騒ぎになってしまっただけで、
私の場合は誰も注目していないから大事になっていないだけかもしれません。

だから、

「とんでもない悪者がいる。早く舞台から引きずり降ろそう。そして贖罪をさせよう」

これは間違っていないのですが、

どうもそうした気分にならないのです。

彼を「異常」と断じる自分は、「正常」であり「常識人」なのだろうか?
そんな思いが心にブレーキをかけるのでしょうね。

実に不幸な事件です。

そして、

「教育というものは適切に行われているようで、実は人間の生来の欠落を補うまでの力はないのではないか」

そんなふうに思われ、

なんとなく悲しい。
そんな気持ちです。

まあ、そんな結論で終わってしまうのも何なので、少し別の側面からも考えてみます。

別のニュースで、自民党総裁選候補にフリージャーナリストが「知的レベルが低いけど国際舞台で恥をさらすことにならないか」などという超失礼な質問をぶつけたというのがありました。

当該候補は、

「その足りないところを補ってくれるチーム、最高のチームを作ります。」

と応じました。

これなどはまさに、先ほどの問題の一つの答えですよね。

敢えて言うなら、「最高のチーム」を作る必要は無く、

「絶対に私を見捨てない、強固な結束を持ったチーム」

を作って欲しいなと思います。

当該ジャーナリストの指摘についてなら、意外と簡単な話です。
彼の奥様はとても知的な方だと思うので、奥様が決して離れないような強固な夫婦の絆が築けたなら、それで問題解決ですよね。

斎藤知事の場合も、家族でなくてもよいのですが、もっと彼の足らなさを補う同士が近くにいたらよかったのに。
党を割ってでも支援してくれたという同士とはコミュニケーションをとらなかったのかな。
ただくっついていただけで、決して彼の足らなさを補うことのなかった副知事ではね。
むしろ彼の足らなさを増幅させることにしかならなかったのでしょう。

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