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批判よりルール整備が必要

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秋篠宮悠仁様が9月6日に誕生日を迎えられ新成人となられました。
この節目の日の前後、悠仁様の進学先の問題で周囲が騒がしくなっており、直近では宮内庁の幹部がこうした雑音に懸念を示しています。
例えば、同じ秋篠宮の眞子様や佳子様は皇室御用達とも言える学習院大学ではない進路を選択されていますが、その時は進学先がここまで騒がれた印象は無いので、異例のことです。

悠仁様の進路に関する報道には、国民がネガティブな想像をしているという報道が多いです。
具体的には、「東大への推薦入学」という噂を、多くの国民が懸念している、というか反対している状況です。

多くの方のコメントを見ていると総じて、

・大学入試の公平性に対する拘りが強い
・権力者等が特例的な扱いを受けることに対するアレルギーも強い

という日本人の国民性というか、そういうものを改めて感じさせられます。

大学入試の公平性というのは守られてしかるべきことですが、ニュースへのコメントなどを見ていると、「学力選抜」に対して強い拘りを感じさせる意見が多いと感じます。
大学受験時に「自分はものすごく頑張った」「あるいは我が子はものすごく頑張っていた」という方が多いのかなと想像します。

また、権力者等が特例的な扱いを受けることについても、大学入試に限らず、多くの方がそういう不公平な扱いを経験(見聞き)しているということだと思います。その警戒感があるのでしょうね。(この点は、宮家の過去の振る舞いというのも関係していると思いますが…)

ただ、国民感情の中に少しばかりの矛盾も感じたりします。

例えば、
・(東大推薦は反対だけど)筑波大など、比較的推薦枠が多くトップでない大学なら良いのではないかという意見
・同様に、今や私立学校で多くの一般受験者を受け入れている学習院大学でいいじゃないかという意見

「東大に入るかも」というと「それにふさわしい学力があるのか」という強い意見が出るのですが、それ以外の大学だとその度合いがすごく弱まる印象があります。
その他の大学だって学力に基づく入試を実施しているはずなのですけどね。

また、学習院大学が多くの皇族の高等教育に貢献してきたことは周知の事実ですが、とうの昔に私立大学の1つとなっている同大学について、皇族の場合には学力云々の話が出ないのも矛盾しているなと思います。
学習院にも入試がありますし、「皇族が入りたいと言ったら入れる大学」という見方は入試の公平性と矛盾しますよね。

私は今回、悠仁様の進路がここまでクローズアップされることになり、いろいろと整備すべき時期にきていると感じました。
議論の根っことなる部分は、

・皇族が義務教育以降の教育を受けるのに「入試や選抜」を必要とするか?

ということですね。

もう将来的に皇族が増えるという見通しはない状況ですので、新たなルールを作っても「誰もかれも」に適用するような状況ではありません。
そこで、

・皇族の義務教育以降の教育については特例入学枠を設ける(希望する学校に入れる)
・上記を実施する上では、当該教育機関の募集枠を拡張し、一般受験者に影響を与えないようにする(できない場合は受入れ不可)

と整理すべきかと思います。(この案が他の法令に引っかかるなどの確認はしていませんが)

そもそも、将来公務を担う皇位継承位の高い皇族については、「教養」は大いに必要ですが「学歴」の必要性は薄いと考えられます。
そうであるとすれば、「学歴」の根幹を成す「(推薦も含む)入試を受けての入学」というのは不要と考えられます。そもそも、皇族が一般志願者と「学力を競う」ということ自体があまり適切ではないと思います。

これまで皇族の進学に際して、一般志願者の枠を使用して行われてきたのかどうかはわかりません。ただ、今回の悠仁様の進路がこのように形でクローズアップされてしまった以上、明確に分けることが解決策であり、今後、同種の不要な議論が出ない方法ではないかと思います。

まあ、市井の民の生活を知るという意味で、皇族が受験勉強というものを経験するのも無駄ではありませんけどね。
でも、皇族は生まれながらに個の為でなく国のために生きることが義務付けられているようなものです。
そんな方々が短期間に、何かに追われるように勉強する必要なんてありますかね?

受け入れ態勢が整うなら、入りたいところに入れて差し上げたらよいし、一般とは別の特別な枠で入っていると公言すればよいでしょう。
別に、それで得た「学歴」を私的な利益として享受するわけでもありませんしね。
ただ、誤解を受けないよう、学力選抜とも推薦型選抜とも異なる特別な枠で入学されていることを説明いただければ、納得する人も増えるのではないでしょうか。

皇族はどんな教育を受けるべきか?
皇族は受験制度の中で自らの学ぶ場所を確保しなければならないのか?

そんな観点でチリ太郎の意見を聞いてみたく、夕食時にそのことを話してみました。

チリ太郎、

チ:「うーん、そんな特別な人なら、特別な枠があってもよいと思うけどね。ズルいとかそういう感じはしないけど」

なんて言っていました。

が、この話題には妻の口撃が止まりません。

青:「こんな近くにもアンチがいましたか…。」

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