間近に迫るパリ五輪ですが、先週末にショッキングなニュースがありました。
女子体操の団体で1名の選手が未成年喫煙、飲酒等の行動規範違反(法律にも違反)により、大会出場を辞退するとのこと。
本ニュースを巡っては、短期間に様々な有識者(そうともつかない人も含む)がSNSなどでコメントを発信し、ちょっとした騒ぎとなりました。
ということで我が家でも、
青:「チリ太郎、今日のニュースでさ、パリ五輪の代表選手が未成年で喫煙したということで代表から外されそうなんだけど、それに対して、『当然だ』という人と『処分が厳しすぎる』という人がいるみたい。チリ太郎はどう思う?」
チ:「うーん…。…。…。」
ということで、チリ太郎お得意のフェードアウトという結果となりました。
(よい議論ができる題材だと思ったのですが…。)
私は小さい頃からスポーツばかりしていたので、こうした話題は身近な社会問題という印象がある一方、チリ太郎にとってはそうではなかったようですね。
週が明けて少し時間が経過し、本問題の対応も決着した今にして思うのは、
・リアルタイムに発信できるところがSNSの良さだけど、それなりの立場のある人は反射的に自分の意見を発信せず、情報が出そろうまで待つのが得策
ということ。
そして、
・この問題って、様々な方が様々な角度から意見を述べて盛り上がったけど、「法律が」とか、「行動規範が」とか、「アスリートを国費で派遣することの云々」とか、「本人の意識の低さが」とか、「管理責任が」とか、そういうことを論拠に結論が妥当かどうかを論ずる話だったのかな?
ということです。
世間ではこの問題を、
・本人の行動の是非(軽重)
・それに対する処分内容の是非(軽重)
で語られがちで、実際に皆さんが自身の論法を持って「正しい」とか「正しくない」という結論を導いていたと思います。
ただ、私は今でも、こうした問題はケース・バイ・ケースで処理する問題かなと思っています。
つまり、仮に次に似たような事件があったとしても、必ず同じように処理する類のものではないと思っているということです。
(この意見にはモヤモヤする人もいると思いますが)
私は、この問題は、ルールとかそういう問題以前に、「人間関係」の問題だと思っています。
そっちが出発点であり、問題の根かなと。
その点では、意外と世に溢れている問題であり、皆さんも経験したことがある問題だという認識です。
ことの発端が内部告発であることが、それを表していますよね。
例えば私の会社でもそうです。
チームで仕事にあたるとき、個人間ではうまく合わない人が出てきます。
そして、往々にして、しきりに特定に人の問題行動を報告しに来る人がでてきます。
そうした内容の中には、
・タバコに行って離席している時間が長い
・他の職員とおしゃべりしている時間が長い
・服装が社会人の常識を逸脱している
・チーム内で話し合ったルールを守らない
・過去に傷害事件で警察沙汰になったことがあるらしい
・社内で不倫しているらしい
という具合に様々な問題点を並べ立てて、
「だからあの人とは一緒にやっていられない」
とか
「そもそもチームを管理する立場としてどう考えるのか? 法人はこういうことを許すのですか?」
みたいな話になっていきます。
おわかりのように、訴えてくる事項にはどちらかに非がありそうな事項もあれば、法令に抵触しそうな事項もあります。
私の場合は、基本的に公平な立場で訴えてきた人の意見を聞き、なるべくチームが存続できる方向で対処します。
ただ、タイミングとか、諸条件が悪い方に作用すると、訴えてきた側か訴えられた側、どちらかを守れない場合というのが出てきます。最悪、両成敗だってあり得ます。
そもそも、こういう事態になるときというのはチーム自体の士気は落ちているときが多いですから、措置として誰かが排除される可能性というのは低くはないですよね。
そんなわけで、私はこの問題については、
処分が不当だとか、誰かがかわいそうだとか、そういう感想は一切ありません。
「人をまとめていくというのは大変で、時にこういうことも起こるよね」
ということ
「なんとか本番を迎えられるよう努力してきたのだろうけど、もたなかったのだろう」
という感想ですかね。
ちなみに付け足しますと、
こうした問題をきっかけに
・ルールを見直した方がよい
・ルールを新設した方がよい
みたいなことを言う方がいますが、それを命じられた人が困惑するだけなので、そういう発想だけは持たない方がよいと思っています。
白黒はっきりしないのが気持ち悪いかもしれませんが、あくまで人間関係に起因すること(だと思う)なので、そこはケース・バイ・ケースで十分だと思います。
これ、実感を持って言えることです。