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チキンレースには乗るな

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チリ太郎の合否が確定する前に青ティがぶっ込む記事シリーズ第2弾です。
(勝手にシリーズ化…。)

「中学受験は課金ゲー」

という言葉は、マンガ「2月の勝者」とドラマ版「2月の勝者」によって広く世に広まりました。

この言葉は主に金銭的な問題に焦点を当てていますが、もう少し広い意味では、

親も子供も、日々の学習も、お金の問題も、

「チキンレースに乗っている」

と言い換えることができると思います。

チキンレースを知らない人はいないと思いますが、一般的には崖などに向かって車を走らせ、先にブレーキを踏んだ方が負けという度胸試しのゲームですね。
(ジェームス・ディーン主演の「理由なき反抗」が発祥という説がありますが…。)

チキンレースなんて、常識的に考えれば「それに乗らない」ことが最良の選択です。
しかし、状況によってある程度それに乗る必要があった場合、

「それは判断を誤らせる危険性のあるゲームである」ということを自覚して臨む必要があります。

私は、この点で中学受験と大学受験は大きく異なると思います。

「他の子はもっと頑張ってるぞ」
「良い点を取っても安心できないぞ、もっともっと…」

とライバルを引き合いに出されて煽られれば、高校生くらいならば、

「これって際限ないよね。」

と気づきます。

そして、

「勉強以外にやりたいこともあるし、全ての時間を勉強に捧げられない。」

と言って勝負を降りる子もいるでしょう。(もちろん、無理のないゴールを再設定するはずです。)

中学受験の場合は、自発的に勉強の必要性、重要性に気づく子も少ない上、一旦受験レールに乗せられてしまった子が、

「これって際限ないよね」

と降りられるケースもまた稀です。

ですから、親の責任が重大です。

私は、中受界でよく聞く

「子供が選んだことですから」
「子供がやる気になっているみたいなので」
「どうしても入りたい学校があるみたいで」

という言葉をものすごく疑っています。
これらの言葉ははっきり言ってあまり好きではありません。

11歳、12歳の子が、自分の人生にそんな責任を持てますか?
総合的な判断ができると思いますか?
その言葉、親が子に勉強を強いる言い訳じゃないですよね?

私はチリ太郎の受験に際して、比較的自由時間を多めに設定しました。
結局、その自由時間はゲーム時間やダラダラ過ごす時間になってしまったため、妻はそのことでよくチリ太郎を責めました。

「最後くらいちゃんとやろうよ。他の子は寸暇を惜しんで勉強してるんだよ。」
「別にゲームをするなとは言ってないよ。最低限やると決めたことはやろう。」
「本気でやっていない子を応援する気になれない。」

チリ太郎は、こうした言葉にさらされつつも、グダグダ、のらりくらりとして、心を入れ替えたように勉強をし始めるということがありませんでした。

妻はその様子を見てさらに、

「もう諦めたってことか。」
「真剣にやらない人が受験なんて意味がない。」

と本当にひどいことを(時々ですが)言いました。

本当に良くない声掛けだと思います。
が…、妻の気持ちもありますので、面前で否定しませんでした。(陰でチリ太郎に声掛けして、妻の気持ちを説明するようにして応援しました。)

人は自分が努力している自覚があると、相手にも同じだけ努力している姿を見せて欲しいものです。
チリ太郎には悪いですが、人生勉強と思ってもらいたい…。

私はチリ太郎がグダグダしている様子を見て、妻とは少し違う印象を持ちました。

「この子は、『これで十分』と思っているのではないか。」

もちろん、模試などの成績は「もう十分」なんてものでは無いのですが、多分、本人的には「安心を買いたいがために必要以上のことをしたくない」と言いたいのではないかと…。

「これはチキンレースだ」
と本能的に察知して、

「まあ、適当なところでブレーキ踏んでおくよ」
と言いたいのではないかと思いました。

チリ太郎は、親に向かって理路整然と言葉を並べるほど成熟していません。
ですから、言葉にならないメッセージを取り違えないようにしなければなりません。

この問題に関して言えば、多分私の解釈が合っていると思っています。
なにせ、私も結構早めにブレーキを踏んでますので。

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