本日は雑談です。
我が家は妻も私も忙しい日や気分が乗らない日は、積極的に外食や店屋物を利用します。
その日もよく行く最寄のパスタ屋で一家で夕食をとっていました。
妻:やっぱりワインは提供されてないな。物足りないな。
青:宣言延長で緩和された分野もあったけど、酒の提供はダメみたいね。
妻:でも、駅前のお店は堂々と店頭に「お酒の提供できます」なんて張り紙がしてあって、この間なんか少し行列ができてたよ。
青:あそこは宣言延長前から張り紙してたから、要請に従わないと決断した飲食店ってことだろうね。
妻:今日の夕方のテレビで、都内では、自粛要請の支援金の支払いが滞っていて、とあるお店では「もう限界です」なんてやってたよ。
チ:「もうさ、3ヶ月も支払われてないなんて言ってたよね。」
青:ずっと要請に従ってきたのに支援金が支払われないから渋々酒を売るなんて、お店からしたら裏切られた気分だよね。
妻:こんなことなら最初から従わなくてよかったって話だよ。
ほんと、正直者が馬鹿を見るというのは気分が良くないものです。
そういえば、私が中学1年の時の担任の先生の口癖がまさしく、
「正直者が馬鹿を見ることはしたくねぇ」
でした。
教科は音楽の先生だったのですが、若くて熱意があって、授業も面白かったです。
「正直者が馬鹿を見る」という言葉を聞くと、今でもその先生を思い出すくらいインパクトのある先生でした。
その先生のもう1つの口癖は、
「お前らの年代はたくさん声を出すことだ。今それをしておけば、大人になっても歌を上手に歌うことができる。」
そんなことを言い、教科書に載っている歌では楽しく歌えないだろうからと、歌謡曲なども交えて、自由な授業をしていました。
本来、指導要領に沿ったカリキュラムでは楽器の演奏なども扱わなければならなかったはずですが、本当に1年、歌ばかり歌っていましたね。
そのおかげかどうかはわかりませんが、私は今でも歌を歌うことを難しいと思ったことがありません。(上手かどうかはわかりませんが…)
大人になってからでも、その先生にご指導いただいたことが思い出され、ありがたいなぁと思えるということは、即ち、良い先生に巡り合えたということです。
公立学校でも、そういう先生と巡り合える可能性は結構あるのだと思います。
ちなみに、そんな素晴らしい先生と出会えた私ですが、もし先生と再会できたら、私はこんな風に先生に報告するかもしれません。
学校に通っている間は、先生たちの努力のおかげで、正直者が馬鹿を見ない世界が維持できていたと思います。
要するに、閉じられた世界なので、ある程度は理想どおりにコントロールできるのが、小・中・高校ということです。
でも、社会に出てみたら、やっぱり「正直物が馬鹿を見るのが世の中だな」って思うようになりました。
自分もそうですし、多くの真面目に生きている人が理不尽な目にあうのが世の常です。
だから、今はこんな風に思います。
正直者が馬鹿を見る世の中は嫌だ。
でも、そんな理不尽に満ち溢れているのが世の中だ。
だから、そんな世の中で、「どう生きていくか」を考えなければいけない。
世の理不尽に直面して、なおどう生きるかが人生の分岐点だ。
馬鹿を見る世の中を嘆くより、馬鹿を見てからの生き方を真剣に考えるべきだ。