前回記事にさせていただいたチリ太郎の社会科学習に起因する問題。
少し話を膨らませてしまった感がありますが、大きな括りとしては
「暗記型勉強」vs「思考力育成型勉強」
みたいな話です。
我が家の結論として、NNの社会では今後しばらく小テストが続くのですが、
「自分なりのやり方で取組んでみたらよい」
ということにしました。
結果についても、自分なりのやり方で出した結果を自分でどう解釈するかは気にすべきですが、
「合格点に達したかどうかで良し悪しを判断しない」こととしました。
受験本番まで日数が限られる中、苦手教科は短期でそれなりの成果を出させたい気持ちはあります。
しかし、原点に立ち還れば、
「小学生にさせる勉強として、(本人が楽しみながらやる場合を除き)暗記型の勉強は必要最小限とし、思考力型の勉強を採用すべき」
という自分のポリシーを再認識すべきと思い至りました。
理想として思い描くのは、チリ太郎の得意としている「理科」ですね。
チリ太郎は社会と同様に理科の学習も暗記という面では全然足りていません。
その面では、集団指導塾が「これは覚えるように」としている基準に達していないことが明らかです。
しかし、模試などでは驚くほど良い点を取ります。
私はこの理科と社会の大きな差は、
その分野における思考力の差なのではないかと思っています。
(もちろん、その前段に興味の有無もあるはずですが)
また、私自身の経験からも、
苦手教科を暗記学習で固めていった先、大学受験で到達できるレベルは知れている
という思いが強いです。
ですから、小学生のうちにそういう癖をつけてほしくないと思うわけです。
そうして自分なりの結論を出してみると、改めて感じることがあります。
これは中学受験と塾業界全般に言えることですが、前から少し違和感を持っていたことです。
「覚えるように」と指示する内容が多すぎ、細かすぎ
です。
サピックスのデータバンクなどが典型例ですが、
「はい、この生産物県別ランキングの一覧、表ごと覚えちゃいましょう」
みないなのは特に違和感が強いです。
社会好きの私からすれば、そこは機械的に暗記するところではなく、
「なぜそのような差が出ているのか」ということとセットで教えるべきところじゃないかなと思うのです。(必ずしも理由がつくことばかりではありませんが)
機械的に覚えた方が手っ取り早くテストにも有利なのだと思いますが、その教科特有の面白さはどこへ行ってしまうのかな…。
そういうところ、ギリギリまで諦めたくないなぁと思ってしまう私がいます。