青:「チリ太郎さん、問題です」
チ:「ん?」
青:「椅子4脚の重さは7キロです。この椅子48脚の重さは何キロで…」
チ:「84キロ」
青:「すか?って… 早いね」
妻:「食い気味に答えてきたね」
青:「それで、式は?」
チ:「うーん、まあ、7/4×48 でいいかな?」
青:「この問題ね、全国学力調査って言って、全国の小学6年生に行われたテストの算数の問題なんだけど、全国の正答率が55.5%だったんだって」
チ:「えっ? 低くない?!」
青:「そう思う? 同じように感じた人がいてね、鳥取県知事さんなんだけど、『義務教育の体を成していない』って怒ってるらしいよ。ちなみに、鳥取県の正答率は全国平均を下回っていたらしいので、すぐに対応を指示したらしいけどね」
チ:「私立学校は入ってるのかな?」
青:「多分、入ってるはずだよ。」
チ:「それだと、公立学校の正答率はさらに低かったり、都市部の正答率は高かったりするのかな」
青:「そういう傾向はあるだろうね。まあ、大雑把に言えば、こうした問題が解けない子が全体の半分ぐらいいて、半年後には中学校に進学していくわけだよね」
チ:「大丈夫なのかな」
ネットで拾ったものですが、是非チリ太郎に聞いてもらいたかったニュースでした。
どんな感想を持つのかなって思いまして。
別に、「チリ太郎はできる子でよかったね」などと思ってもらいたかったわけではありません。
算数の問題がニュースになることは少ないので、これなら導入部でスルーされることはないだろうと思ったのです。
予想どおり、掴みはOKでしたね。
中学生にもなれば、世の中のこと、ニュースにもそれなりに興味・感心を持ってもらいたいのですが、「教育問題」って、生徒は当事者で身近な問題のはずのところ、何故か感心を持つ人は少ないですよね。
環境問題とかの方にいってしまうことが多いのは、教育現場で教育問題を取り扱うのは生々しすぎて教材に適さず、むしろ程々に距離感のある地球環境問題などの方がやりやすいからなのかもしれませんね。(変に深読みする性格の悪さ)
大人ならこのニュースに接して
・学習指導要領の問題なのか
・教員の指導力の問題なのか
・あるいは教育環境やシステムに起因するのか
そんなふうに最も大きな要因は何なのかと思考を巡らせるはずですが、中学生でも、「僕はこのあたりが一番大きな課題だと思うな」というようなところまでは考え抜く力をつけて欲しいと思うのです。
が… 我が家の場合は…
妻:「おとさん、ニュースの話は結構ですが、チリ太郎さんが宿題を始めようとしたタイミングで邪魔しないでください」
青:「スミマセン。なかなかお話するタイミングなくて…。」
ちなみに大人である私はこのニュースにどういう感想を持ったか。
一番問題なのは、「子供にいろんなものを学ばせよう」と文科省に圧をかけてくる人(主に議員)が多くて、そういうものの影響から指導内容が広くなりすぎている結果なのだと思います。
かなり古い話を持ち出せば、「読み書きそろばん」が基本の時代があって、それが貫徹されていれば、現場の教師もじっくり指導ができますよね。「国語と算数」でよいのですから。
しかし、
・これからの時代は語学ですよ。小学生から英語に慣れておく必要がある
・一家に一台PCが普及する現代、プログラミングを学ぶべきだ。そのことによってプログラミング的な思考も身につく
・金融が社会を支える現代、お金の教育を早期から始めるべき
・いのちの教育が他者をいたわる心を育む
などなど、いろんな教育を推してくる人がいます。
おそらく、1つ1つは的外れなんてことはなく、どれも「やれたらいいですよね」というものなのですが、皆トータルのキャパなんて考えずにゴリゴリ推してきますからね。
私、文科省の学習指導要領を担当している部署の方とお話したことがあります。
多分、文科省の中でもかなり重要な(要するにエリートが配置される)部署の1つだと思うのですが、
「もう、気が狂いそうですよ」
とおっしゃっていたのを今でも覚えています。
なんで気が狂いそうなのか?
要するに、あっちを立てればこっちからクレーム、ほぼほぼ出来上がった案に横やり、あらゆるところで板挟み現象。もうね、学習指導要領を改訂するときなど、一字動かすのに血みどろの思いをしてるのです。
つまり、文科省の方もほぼほぼ被害者というのですかね。
こういうと、「いや、所管官庁なのだから、そこは毅然と自らの考えを通せばよい」とおっしゃられる方もいらっしゃると思いますが、省庁の人って「国民に選ばれた議員の意見は国民の意見」だから、傾聴しなければいけませんよね、基本的に。
そんなふうに、落ち着いた環境、建設的な議論の中で指導要領をつくれなくて、結果として、指導内容が分散する傾向にあるのではないかと思います。
(子供にも、指導する先生にとってもキャパオーバーな内容になっている)
ですので、昔は「基本だろ」と思っていた計算問題の正答率が思ったり低くても、ある意味当然。
これを悪化している、教育水準が下がっていると捉えることもできますが、「いや、算数の能力はアレですが、教科教育では測れない『世の中を生き抜く力』は昔より上がっているはずですよ」なんて言い訳もできるわけです。
だから私の結論は、
・算数の正答率だけ見ると問題があるように見える。
・しかし、多くの国民が教育現場に様々な分野の教育を求めて現在の学校教育がある。
・そこで育まれた能力は、全国学力調査の結果だけでは測れないはず。
・基礎的な学力を重視するなら、学習指導要領にあれこれ盛り込むべきではなく、過去に立ち戻るぐらいの潔さが必要。
などと思っています。もちろん、これが正解などとは思っていませんけどね。