「子供の学力は母親の学歴で決まる。」
なんて言葉がありますよね。
文科省の調査結果に基づく説なのですが、実に罪作りな言葉だと思います。
というのは、
「学歴が無い」と思う母親に対しては、「そうか、自分のせいで」というようにネガティブな気持ちを持たせてしまいますし、「高学歴」の母親に対しても、「うちの子供はもっとやれるはず」という過剰な期待を抱かせる原因になり得ます。
つまり、この説によってプラスの影響を受ける人が少ないということです。
また、この説を例にとれば、一口に学歴と言っても様々であることや、子供と母親との物理的・心情的距離が考慮されているのか不明なこと等、突っ込みどころが多数ある中、「統計調査による分析結果」として言葉が独り歩きしています。
このように、統計から導き出された結果というのは、本来、大きな政策を考えたりする上では有効ですが、個別の案件に適用する上では「参考程度」とするのが正しい姿勢だと思います。
中学受験には様々な言葉が溢れています。
ですが、先の言葉のように、統計から導き出された事実であっても、受け手の気持ちを考慮しない(どう受け取られるかに配慮しない)言葉も多数あります。
例えば、
「公立中高一貫校に受かりやすいタイプはこんな子だ」とか、
「合格する子の平均勉強時間は〇時間で、過去問は×回以上解いた子が多いらしい」とか、
ブログで記事を書く上ではネタになってよいのですが、自分ごととしてどれだけ意識したらよいかと言われれば、気にしない方がよいくらいですよね。
特に受験勉強が大詰めにきている6年生とその親御さんは、是非、ポジティブな言葉だけを選んで、ラストスパートの糧としてもらいたいものです。
人は言葉とともに生きています。
どんな言葉を投げかけるか、心に刻むかということは、実に重要なことです。
今、受験勉強を頑張っている6年生やその親御さんに対して、このブログを通じて言葉を贈るとするなら、私は伝えたいです。
合否じゃなく、チャレンジすること自体が尊い。
チャレンジするからには、短くてもよいから、
全力を尽くしたと言える期間をつくってほしい。
私はどちらかと言うと、チャレンジしない人生を歩んできましたので、「小学生が何かに挑む」なんて聞くと、本当に私などよりも充実した人生を歩んでるなと感じます。
チャレンジする気持ちを持つだけで尊敬に値します。
あとは、チャレンジをより価値あるものにするために、全力を尽くすことですよね。
成功・失敗よりも、全力を尽くしたと思えるかどうかの方が重要です。
1ヶ月でも、1週間でもよいですから、「あの時間だけは本当に全力を尽くしたな」と思える期間をつくってください。
それで完璧です。