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探求学習は一日にして成らず

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少し前の話になりますが、チリ太郎の学校の生徒さんが「地歴甲子園」で賞を受賞された旨のニュースを学校のHPで見ました。

中高生を対象とした○○甲子園とか、○○オリンピックなるものは結構たくさんありますが、正直、私が高校生の頃は学校生活が自分の世界であり、そうした外部の催し物に目を向けることがありませんでした。
私ごときの高校時代と比較するまでもありませんが、こうしたコンテストに「参加しよう」と思うだけで凄いことです。尊敬します。
もし同世代の頃の私であれば、「こんな年齢で自分のやりたいことがはっきりしていて、羨ましい」とちょっとした嫉妬心を覚えたかもしれませんね。

昨今は大学入試の総合型選抜などに必要な実績づくりのため、こうしたコンテストに目を向ける生徒さんも増えているかもしれません。
しかし、私はそれを「動機が不純だ」などと言うつもりはありません。
なぜなら、それなりに格のあるコンテストは参加者も優秀であり、付け焼刃で受賞歴が得られるほど甘くはないからです。
参加するからには、それなりの努力をしなければ結果を残せないですし、それなりの労力を払うならば、動機は様々であってよいでしょう。

チリ太郎の学校の案内によれば、地歴甲子園のサイトで受賞者の発表の様子が動画で見られるとのことでした。
それで、興味が湧いて見にいってみました。

発表は正味30分ほどでしたが、発表も質疑応答も実に立派なものでした。
発表時間が限られるゆえ、研究の手法や考察などにいくつか疑問を持ったところもありましたが、応募資料はおそらく論文形式でしょうから、おそらくその原著を見れば私の疑問についての説明は記載されているのでしょう。
審査員の先生の質問や講評で印象に残ったのは、

「この研究を経て、次はどの部分に取り組みたいか?」

という質問をされていた点。

1つの研究テーマは1本の論文で完結するものではなく、むしろ次へ次へと課題が出てきます。そこは正に、大学での研究と変わらない課題意識を求められているのだなと感心しました。そして、それに対して発表者が即座に回答ができるところもまた素晴らしい。
このコンクールへの応募が単発で終わるものではなく、自分自身のライフワークとして取り組んでいることの証であると感じました。

審査員の先生も、

「これぞ探求学習」

と褒めておられましたが、私も全く同じことを感じました。

と同時に、
探求学習は現在の流行りではありますが、流行に乗るために学校が行う探求学習の危険性と言いますか、その傾向の是非について課題を感じました。

チリ太郎の学校の受賞者の発表を聞けば、背景に相当な知識があり、それは授業などの与えられた知識ではなく、自身の興味に任せて自主的に専門書や論文を読んで蓄えたものであろうことが容易に想像できました。
そのように、本物の探求学習はざっくり言えば大学の卒論などと同等以上の労力、時間を要します。
基礎知識、専門知識の習得、調査・研究方法等の研究関連知識の習得と、調査・研究に着手する前にもかなりの時間を要します。これを授業の時間内に一律に実施することは、普通で考えれば不可能です。
教師がサポートするにしても、やはり基礎となる知識や当該分野への知見不足というのは補うことが難しいでしょう。
結果、形式はまねることができたとしても、どこか内容が薄い活動にならざるを得ません。
そういう意味では、探求学習は授業時間だけでなく、自由時間の一部を割くぐらいでようやく成立するものと言えるでしょう。
100人に1人ぐらいは学校での探求学習が呼び水となって、自発的な研究に取り組む生徒もあるかもしれませんから、全くの無駄とは思いませんが、授業の質としては低いもので終わってしまう可能性が高く、もったいないように感じられます。

探求学習的なものは効率が悪いからやめろとまでは言いません。
そうした取り組みも時には必要でしょう。
しかし、そうしたものをさも先進的な教育であるかのように前面に出すと、どこかでボロが出てしまう気がします。
要するに、探求学習というのはそんな簡単なものではないということですね。

探求学習には膨大な時間も必要ですし、指導側にも指導を受ける側にも素養が必要です。
また、高度な学習に堪えうるモチベーション、本人の意欲も必要でしょう。

そうしたことを考えると、現状では、

「限られた生徒が、授業時間外の時間も使いながら実現するもの」

と割り切るべきものかなという気がしました。

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