チリ太郎が中学2年になって以降、親が学校の課題に口出し・手助けする機会がめっきり減ってきています。
チリ太郎は家ではあまりに勉強をしないため、
妻青:「提出を控えてる課題はないの?」
という声掛けは常にしています。
ただ、提出漏れがないか? 指示された内容で提出できているか? などはもう親の立場では細かくチェックしないようになっています。(もともと、そこまで細かく管理はしていませんでしたが)
念のために補足させていただければ、
親が管理しなくても自主的にちゃんとできるようになった
ということではありません。
チリ太郎の様子を見る限り、多分、「やったり、やらなかったり(提出したり、提出しなかったり)」が現状であると思います。
まあ、「やる・やらない、やれる・やれない」を自主的に判断しているという面では、自主性が育ってきているとも言えますが…。(それでよいのやら…)
チリ太郎の学校は、こうした提出物の状況はあまりうるさく言わない方針のようです。
間違いなく各教科の成績には反映されるのだと思いますが、よほど芳しくない状況にでもならない限り、親の方には連絡がきません。
わたしは、そうした方針に賛成で、各教科の先生から本人(チリ太郎)に厳しく言っていただければ結構だと思っています。
逆に、
「お父様、お母さまからも働きかけをお願いします」
と言われるようなら、
「少々頼りないな」
という印象を持つかもしれませんね。
さてさて、チリ太郎が少しずつ親の手を離れ始めているとなると、少々寂しいものがあります。
中学1年の頃は宿題やら課題やらを手伝うこともありましたが、それを通じてチリ太郎の考えなどを知ることができました。
最近は「わからない」「できない」という感じで相談に来るケースも減ってしまい、親としては寂しい思いもあります。
私は子供の方が「見て欲しい」と言わない限り、基本的にはチリ太郎の課題とか宿題の中身は確認しないようにしているため、チリ太郎がどんな風に学校の課題に取り組んでいるかも詳しくは知りません。(宿題を居間でやっているときは横から眺めることはありますが)
ただ先日、私が在宅勤務をしているとき、チリ太郎の机にプリントミスしたレポートが置いてあったため、のぞき見してみました。
鎌倉での校外学習で科されたレポートのほぼほぼ完成版だったようですが…、
結構しっかりとしたレポートで、ビックリしました。
「あのチリ太郎がこれを書いたの?!」と思うほどしっかりとしたレポートで、思わず妻にも確認してもらってしまいました。
青:「これ、チリ太郎が書いたと思えない内容だよ。本当に、〇〇GPTとかに書かせたのじゃないかと思うぐらい」
妻:「チリ太郎さんにそんな高度なチートができるわけないじゃん」
親バカで申し訳ないのですが、中学2年生が書いたというには完成度が高いレポートでしたね。
簡潔な文章で無理なくわかりやすい論理展開。また、誤字脱字や文法上のミスと言えるようなものも見当たりませんでした。
あらさがしの得意な私ですが、ケチをつけるところが無いと思いましたね。
チリ太郎は過去の記事にもあるように、中学受験時は国語が苦手教科でした。
特に、文章を書くという部分は非常に弱くて、入試ギリギリまで記述問題は白紙で提出していたようなレベルでした。
あれから1年半。
親が知らない間にこんない能力を伸ばしていたとは…。
確か、家でパソコンに向かってるときに、
チ:「文字数の設定があって、大変だなぁ」
青:「何文字必要なの?」
青:「1600字ぐらい」
青:「A4で1枚半ってところだね。まあ、核心となる部分は書くとして、文章なのだから文字数なんて引き延ばせばなんとでもなるじゃない。」
チ:「そうかなぁ」
なんて、やりとりをした覚えがあるのですが、実際に完成したレポートの内容は簡潔そのもので、文字数稼ぎの引き延ばしをした形跡は全くみあたりませんでしたからね。
このレポートの出来栄えですが、間違いなく、親の指導の成果ではありませんからね。
学校での指導が良いからか、
チリ太郎の隠れていた能力が開花し始めたのか、
ただ、チリ太郎が特別ということではないのでしょうね。
中学受験で受験校の学校訪問などをすると、特別教室に生徒のレポートや研究発表などが掲示されていて、
青:「さすが上位校だな。我が子はこんな中に入って、やっていけるだろうか…」
とレベルの高さを目の当たりにすることがあるのですが、
多分、誰でも、その子なりに、親が驚くほど伸びる
のだと思います。
まさに、「男子三日会わざれば刮目して見よ」というところでしょうね。(あっ、女子もね。)
これから中学に上がるお子さんを持つ方は楽しみにされていたらよいと思います。