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全力なんて非現実的

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平日2時間、休日3時間にも及ぶゲーム習慣に全く変化がみえないチリ太郎
先日、チリ太郎とこんな会話をしました。

青:「もしかしてさ、チリ太郎は超勉強して余裕で受かるより、最小限の努力でギリギリで合格する方が得だって考え?」
チ:「えっ? どういう意味か…。」

青:「だからさ、志望校に合格することが目標だとして、遊ぶ時間も習い事も辞めて勉強に専念した結果、余裕をもって上位で合格する人がいるとするじゃない。」

チ:「うん。」

青:「例えば同じ人がさ、遊ぶ時間はしっかり確保して、ゲームも辞めないで、少しダラダラしながらも、合格者最低点で合格した場合さ、前の場合と比較して遊びやゲームを辞めなかった分、「得」だと考える人もいるじゃない。」

チ:「ああ。」

青:「チリ太郎はそういう考えなのかなって思ってね。」

チ:「そんなことは無いけど…。」

青:「まあ、自分はどうしたいのかってことを考えて行動しているなら、おとさんはそれでよいけどね。」

チ:「そんな余裕あるかな。この前の過去問とか、全然届いていないことがわかったし。」

青:「それはいい気づきだね。でも、おとさんは全てを投げうって勉強して欲しいなんて思っていないんだよ。「これくらいの力の入れ具合で、これくらいの順位で合格したいな」ってイメージしながら勉強に取組んで欲しいなと思ってる。」

塾の先生も、大人も、誰もが「受験には全力で挑むべきだ」「それでこそ価値がある」と煽ります。
しかし、ちょっと極端な解釈かもしれませんが、「全力」と聞いたら誰でも100%の力を注ぐこと、それに専念することをイメージすると思います。
その延長には、「遊んでる時間あるのか?」「ゲームなんかしている時間あるのか?」「ボーっとしてるのは無駄じゃないか?」「テレビを何時間見てるんだ?」という考えに繋がっていき、子供の生活を窮屈な方向へ誘導していくと思います。

私は、「全力を出し切る」とか、「100%ないし120%」などという表現は、あまり使いたくないなと思っています。少なくとも、数日から数時間程度の短い時間ならそういう表現を使うこともあるかもしれませんが、中学受験の数年、数ヶ月単位でそういう程度があいまいな振り切った表現を使うのは避けたいなと思っています。

なぜかと言えば、あまり現実的でなくて意味がないと思うからです。

少し前に、「ゆる受験のススメ」みたいな記事が炎上して(中受界で)話題になっていました。
しかし、あれだって、例えば「習い事をやめない」とか「6年生から受験勉強」とか、ある程度具体的な基準が示されている分、「全力」とか「100%」などという表現よりはマシなのではないかと思っています。

そんな私は、全てを投げうって中学受験に専念する(ありえない架空の)レベルを100%の努力だとして、だいたい40~50%くらいのイメージで合格をつかんで欲しいなと思っています。
子供だもの。勉強以外にやりたいことはあるし、それを取り上げることなんて考えられません。

実のところ、「最小限の努力で滑り込めれば、それが最もお得じゃない?」と思っているのはチリ太郎ではなく私なのかもしれませんね。

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