先の記事で「思春期らしい葛藤」というような表現を使いました。
気になって「思春期・青年期」というキーワードでいろいろ調べてみたのですが、以前は
「思春期・青年期」=「13歳~22歳程度を指す」
と考えられてきたものが、最近は、
「思春期・青年期」=「10歳~30歳程度を指す」
というように前後に拡大する考え方があるようですね。
もともと、幼年、少年、青年、壮年というような区切り方は具体的な定義があるものではありませんが、一方で、思春期の方は第二次性徴をきっかけとする体の変化に伴うイメージが強く、具体的な定義がありそうですね。(後者は生理学的、社会学的な定義らしきものがありそうですが… 調べるのが面倒くさいので…)
話が戻りまして、この「思春期・青年期」=「10歳~30歳程度を指す」という考え方は、
「えっ、20年もあるの? 長くね?!」
「ってか、30とかおっさんだし」
と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、私の個人的な感覚としては納得感があります。
つまり、我々世代の頃の標準と比較すると、現代は「人間が成熟するのに期間時間を要するようになってきている」ということなのですよね。
もともとの「思春期・青年期」=「13歳~22歳程度を指す」という考え方は年齢の区切りを見れば非常に単純で、
中学入学~大学卒業までで切る考え方なのだと思います。(想像ですが)
「中学に入ればもう子供とは言えないよね」
「大学を卒業したら就職するのだし、独り立ちの時期だよね」
という考えは私が育った時代の考え方としてはスタンダードだったと思います。
一方で、思春期・青年期の年齢が拡大された原因としては、
・子供たちの身体の発達は個人差があり、10歳程度で第二次性徴が見られる例も珍しくなくなった
・一方で社会が複雑化し、大学卒業程度の年齢で自立した大人となるかと考えたとき、自立と社会的責任を問われる年齢はもう少し引き上げるのが妥当
という事項が考慮されたようですね。
まあしかし、このような中で「成人年齢」は20歳から18歳に引き下げているわけで、そこは整合性が取れていない印象がありますけどね…。(これは政治的な判断ですかね)
私自身は、自分が25歳で就職し、30歳ぐらいまではフワフワしていた印象があるため、チリ太郎を育てる上でも長い目で見ないといけないと思っていました。
そう、まさに30歳ぐらいまでと思っていました。
「過保護なだけでは?」とお考えの方もいらっしゃると思います。
ただ、冷静に考えて、私が子供であった40年前と現代では、先に述べたように確実に社会は「複雑化」していますし、それに適応する人間の知識・技能も「高度化」していますよね。我々大人世代は変化の中を適応しながら生き抜いてきたため、そこには意外に気づかないし、現役世代に対して配慮を欠いてしまうこともあるのではないかと思います。
端的に言えば、我々世代の人が
「自分が高校生の頃は、自分が大学を卒業した頃は」
みたいな感覚で語るのは慎重であるべきということですね。
そんな姿勢でよいのだと思います。
多様性が叫ばれる時代でもありますし、くれぐれも古い基準、古い人の記憶、年齢や性別などでステレオタイプに判断することの無いようにしないといけませんね。
多分、今を生きる子たちは、我々が育った社会よりも便利な世の中を生きていますが、一方で生き辛さが増す世の中を生きていると思います。
少なくとも、時間的な部分だけは大目に見てあげたいものですね。