皆様、「神の眼を持つ人」と言われたら誰を連想しますか?
野球好きの私は、「落合博満さん」を真っ先に連想します。
打者として3度の三冠王を獲得
卓越した打撃技術はもはや伝説とも言える野球選手です。
監督としても8年間で4度のリーグ優勝、1度の日本一と「名将」と言ってよい成績。
現役時代は「俺流」と称される一匹狼で、コーチ経験も無く監督に就任したことから、多くのプロ野球ファンがマネージャーとしての資質に懐疑的でした。しかし、監督就任1年目から全てを実績で覆しました。
打者として誰も到達したことのない境地に達している人なので、「神の眼を持つ」というイメージも同意いただける方がいらっしゃると思いますが、私はむしろ監督時代のエピソードの方を鮮明に記憶しています。
2010年4月27日の中日vs巨人戦。2回表1死というタイミングでベンチを出て球審に歩み寄る落合監督。
観客もテレビ視聴者も実況・解説者も、「ん?! 何の抗議?」と思って状況を理解できませんでした。(私はリアルタイムでテレビ観戦していました)
結局、その時の球審は2回表終了時に体調不良で退くこととなるのですが、落合監督は球審の体調不良をベンチに居て見抜いたのです。そして、「責任審判が自分で降りるということは言えないだろうから、交代を勧めた」というのが謎の行動の真相でした。
全容がわかったのは試合後のことです。
まあ、落合氏の著書を読むと、「(監督として)毎日同じ位置から選手のバッティング練習・守備練習を観察する。すると、(技術の向上や好不調などの)違いが分かるようになってくる」というように述べておられるところがありますので(私の記憶なので言い回しは不正確かもしれません)、当時の出来事もベンチの同じ位置からバッターボックス付近を観察していて、審判の動きに何か違和感を感じたのでしょうね。
そんなエピソードをいくつも持つ落合氏だけに、信者が大勢います。
私もその一人でして、最近開設されたYouTubeチャンネルこそ登録していないものの(そこは登録しようよ…)、スポーツニュースなどのゲストで番組に出演されていれば、「何を語るのだろう」とまさに「ご神託、予言の類を待つ信者」のような心境で番組に注目しています。
さて、なんで冒頭に落合さんの話をしたのか?
そんな「神の眼を持つ」落合氏ですが、今や世界を代表するベースボール・プレイヤーとなった大谷翔平選手の打撃について、「特殊。普通のバッティング理論からすると理に反している」と評しています。
つまり、現在の大谷選手の活躍・実績は、自分の中の理論では測れないってことですね、あれだけの打撃理論を持っている人でも。
しかし、私は「信者」ですので、落合氏の次の発言も見逃しません。
「彼は彼なりの考えがあってそのバッティングを押し進めてるから、他人がとやかく言うことはないんじゃないかと思う」
自分の理論に固執しないところがさすがですね!
もしかしたら、とかく選手を型に嵌めがちな日本の野球界に対するアンチテーゼかもしれませんね。(落合氏はプロ野球選手になるまでは裏街道を歩んできた方ですので)
そんなニュース記事を見て以来、私は強く思うようになりました。
子育てをするとき、私は人生の先輩としていろいろなことを「経験者」的な視点でアドバイスしたくなります。
でも、「神の眼」を持つ落合氏ですら規格外があるのですから、「私ごときの常識や経験」がなんの参考になるのかと。
むしろ、「神の眼」を持たない私の常識など、子供の可能性を潰すリスクなのではないかと。
まあ、そんな卑屈になる必要もないのですけどね。
でも、そう考えた方が却って気持ちが楽でもあるのです。
一切の先入観を排して、「ただただ応援するだけ」でよいのですから。
「それがうまくいくかなんて、専門家にすらわからない。まして、専門家でもない親の意見なんて、参考になるのかとても怪しい。だから、やりたいと思ったこと、できると思ったことをやってみな」ということです。