渡部(わたべ)さん、やっちまいましたねー。
私はアンジャッシュのコントも嫌いでなかったし、王様のブランチも結構見ていましたので、自粛は仕方ないいけど、残念ですね。
まあ、私の生活に大きな影響があるわけではありませんが、児島さんに期待しよう。
さて、この手のニュースが出たとき、報道のされ方やヤフコメなどでの意見などを見ていて、「私の考え方とは随分違うな」と思わされる市井の人の意見があります。
それは、人の心(意思や思考)と体(行動等)を直結させて論じるような意見ですね。
例を挙げるとすると、
「奥さんやお子さんを愛していればこんなことはしないはず。」
「人のことを物のように考えているのだ。(だからそんなことをするのだ)」
「日頃の言動から、どうも人間的に信用できないと思っていた。」
みたいな感じですかね。
渡部さんの件に限らず、私の職場でも直近でこんな言葉を耳にしました。
「彼らは(コロナに対する)危機意識が足りない。だからそんなことをするんだ。」
特に、人の行動からその人の心を類推する。悪いときは決めつけるような意見には、私はどうしても違和感を持ってしまいます。
人間って、いつも思った通りに行動できるものではないですよね?
だから、人生に失敗はつきもの。
さらに言えば、失敗してしまった人の気持ち、普段の心がけがどうであったのかは、他の人が知るすべはないですよね?
だから、失敗に際して人の心まで責めるのは言い過ぎだと思うんです。
これと同じことが、親子の間でもよく起こります。
我が家でも時々耳にしますが、
「何度言えばわかるの! 真剣に反省をしていないから同じことを何度もするの。」
「お前の『反省している』は口先だけ。」」
「本当に反省していれば、行動が変わるはず。」
「真剣に反省しているかは、今後の様子を見て判断する。」
また、勉強関連でも、
「そういううっかりミスがなくならないのは、真剣さが足りないからだ。」
「真剣ならば、時間のある限り見直しをするはずだ。」
これ、学校の先生も同じことを言う人がいますよね。
これね、失敗してありとあらゆる叱責を受けてきた経験者として言わせていただければ、本当につらいんですよ。
失敗を指摘されるのは当然としても、「より真剣みを持って取り組む」とか、「心を入れ替える」とか、「生まれ変わったつもりで頑張る」とか、具体的にやりようがありませんからね。
逆に、相手の心にダメージを与えることが目的ならば、これは大変効果的なやり方と言えますが…。
私は、先にも言いましたが、
人間は常に間違いを犯す。
また、その間違いは、その人の人格や心構え、物事に対する熱意などとは別の話。
という考えが身に染みています。要するに、自分がそういう間違いばかり起こす人間だと自覚しているということですね。
例えば妻がチリ太郎に対して、前述のような怒り方をしていた場合、私は、心の中では、「そうかなぁ」って思っています。
もちろん、口に出したりしません。
怒る方の気持ちもわかりますし、うっかり口に出したら大炎上しちゃいますからね。
チリ太郎とお風呂に入ったときとかに、こんな話をしてフォローしたりします。
「おとさんも、大小数えきれないほど失敗してきたし、同じ失敗を何度もしてるよ。」
「だから、真剣にやってても失敗することがあることをよく知ってるし、その人が真剣にやっていたけど失敗してしまったと言うなら、それは信じることにしてる。会社でもそうだ。」
「大事なことは、人から言われたからといって、自分の気持ちに疑問を持たないことだよ。自分が真剣にやっていたと思うなら、誰に何と言われようと、精いっぱい真剣な気持ちだったんだよ。」
「失敗をするのは気持ちとは別の問題。」
「だから、自分の真剣さが本物でなかったのではないかとか、何度も同じ失敗をする自分は、ダメな人間なのじゃないかとか、思ってはいけない。」
「失敗はね、ある日、ふと気づくことがあったりして、なくすことができるようになるよ。」
「それまでは、気持ちを切り替えながら生きていくしかない。毎回怒られるの、いやだけどね。」