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作文学習 天啓編

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本日の東京は雨。しかも、豪雨に傘も吹き飛ばす横殴りの風。
コロナ自粛で籠り切りの部屋に、どんよりとした空気の重みがのしかかります。

チリ太郎の作文学習も、そんなシケシケの中でスタート。

本日のZ会作文学習は、前回に続き「添削問題への準備 その2」として、添削問題提出への準備を進める内容となっています。
具体的には、前回作成した、「自分マップ」の中から、自分の自己紹介に使いたいメインテーマを1つ選び、そのテーマについて具体的なエピソードや詳しい説明などを足して膨らませていくものです。
最終的には、添削先生宛に自己紹介文を書くのですが、教材は丁寧に段階を踏んで準備をする内容になっています。

チリ太郎名人、例によって、初手でまたしても長考に入ります。
全体で40分の学習内容のところ、最初のテーマを選ぶのに30分以上時間をかけます。(この間、1文字も書きません。)

もうね、NHK杯なら、初手で考慮時間を使い果たし、残りを1手30秒で差さなければいけないところです。

過去2回の作文学習を通じて、私は3時間くらいは付き合うつもりでいますし、1時間くらい手が動かなくても驚きはしないのですが、この状態に妻のイライラが止まりません。私にとっては、むしろそちらの方が気になって仕方ありません。

「うーん」と声を発しながら、消しゴムのカスを弄っているチリ太郎に、妻が
「何を迷うことがあるの」
「テーマを1つ選ぶだけなのに」
「てか、ゲームが好きなこと以外、書けないでしょ」
と問いかけます。

それに対してチリ太郎が「うーん」と重ねるものですから、妻も付き合いきれずにふて寝に入りました。

正直、「ふて寝してくれて助かった」と思いました。
こんなところでイライラをチリ太郎にぶつけてしまうのは最悪です。黙って待ち続けるのが得策で、ふて寝なら、その次に良いくらいです。

私はといいますと、今日はチリ太郎に声かけをするのを最小限にしようと思って、ただ待っている時間は、ひたすら考え事をしていました。
何を考えていたかといいますと、自分の小さかった頃の作文ってどうだったかなということを思い出していたのです。

実は、私は今でこそ、文章を読むのも書くのも大好きな方ですが、小学校低学年の頃の記憶で、読書感想文がうまく書けなかった記憶があるのです。
その当時の記憶を辿ると、子供の頃に私が感じたある思いに突き当たりました。

「大人が『こう書いたらいい』って勧める文章は、なんだか格好良くない。」

みなさん、作文でも、読書感想文でもそうですが、お子さんが悩んでいるように見えたとき、「こうしてみたら?」と最良のアドバイスをしたつもりが、「うーん」みたいな反応で返されて、「じゃあ勝手にしろ」となった経験ってないでしょうか?

私の経験に基づけば、大人が考える「子供の作文ならこんなものがよい」という文章は、子供にはあまり格好良く見えないものです。
大人がそのことに気づけないと、「なんだよ。最良ともいえるアドバイスを無下にしやがって」って気持ちになってしまうんですね。

子供は子供なりに、自分の美意識に照らして、よいと思う文章を書こうとします。
圧倒的に技術、知識が足りないので、手が止まってしまいますが、自分の感覚の中には、「こういうのがいい」というものがおぼろげにありますので、大人のアドバイスでも、素直に聞けないときがあります。そういうとき、大人は、辛抱強く待つしかありません。受験とか、いろいろなことを考えると焦る気持ちはありますけどね。

私は、本日、「今は最後の紹介文を書くための準備段階だから、拘りすぎてもダメだよ。気に入ることも、気に入らないことも、全部書き出しちゃおう。」とだけアドバイスしました。

結局、チリ太郎は前半の課題を終えるまでに、1時間以上の時間を要し、課題全体を終えるのに1時間45分かかりました。
前回、前々回よりも学習時間は短くなっておりますが、表面上は何かコツをつかんだようにも見えないので、親として心配です。
しかし、今日は、自分の小さい頃のことを思い出し、少しだけチリ太郎の気持ちに寄り添えたような気がします。これが、チリ太郎を見守る私にとっての天啓となるかどうか、ですね。

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