サラリーマンの方は年末調整の季節ですね。
私のように給与を妻に預けてしまっている人は、この時期ぐらいしか自分のもらっている年収を気にする機会がありません。
改めて自分がもらっている給与を見て…
(額はともかく…)
「やべぇ…、全然給与に見合った仕事してないなぁ…。」
と反省します。
私が若かりし頃、同じ部署に全く仕事をしない大先輩が大勢いました。
「オレはいいんだ。若い頃、安い給料でさんざん働いたんだ。今ゆっくりしていたって何が悪い。」と言って憚らない人があちこちにいました。
その頃は人(職員)は大勢いて、仕事はそれに見合わないぐらい少なかったりしました。
だから、今と比べると、「そんな細かいところ、どうでもよくない?」というような細やかな仕事をしてたように思います。
時が流れ、人が減り、仕事の仕方や重要視するものも少し変わった気がしますが、大して働いていない自分を見ると、
「かつての先輩とあまり変わらないや」
と思ったりします。
それなりに会社に所属していれば給与が勝手に上がっていった時代はとっくに過ぎていますが、業種や会社の規模などによっては、うっすらとそうした古き良き時代の名残を残している会社もあるでしょう。
10年後には、そうした名残も完全になくなるかもしれません。
でも、あんまり働かない人は無くならないかもしれませんね…。(自虐)
ふと、「チリ太郎が就職活動をする頃の社会はどうなっているかな」
なんて思ったりします。
1つだけ確実だと思えるのは、チリ太郎が就職する時代はさらに少子高齢化が進みますので、国内のみで事業を行う業種は厳しいだろうということです。
私の仕事は主に国内に向いており、世界を相手にする必要が無いものですが、私が退職するまであと20年弱あって、逃げ切れるか逃げ切れないかという感覚を持っています。
チリ太郎が就職して、そこから40年働くことを想定した場合、製造業にしたってサービス業にしたって、世界を相手に商売をしていなければやっていけないでしょう。
別に外国語がしゃべれなくたってよいのです。
ただ、物を作るなら日本人だけでなく、世界の多くの人が良いと思ってもらえるものを基準にし、サービスなら世界基準で通用するサービスを考え、研究をするなら(当然)世界から評価を受けることを最初から目指していないといけないと思います。
(仕事においては)自分の基準を世界基準に合わせるという至って単純なことで、これが私の思うグローバル感覚です。
チリ太郎には、いつかそんなアドバイスをしたいなと思っています。