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プロ意識

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「また青ティがプロ野球の記事書いてるぞ」と言われてしまうかもしれませんが…。

しかも、「話題にするのがおせぇ…」とも言われてしまうでしょうが…。

先週日曜日の「佐々木朗希投手(ロッテ)の完全試合」は凄かった。
連続奪三振記録も更新(9→13)していますが、これもおまけ扱いするには大きすぎるニュースです。

普段、私はパリーグの試合はあまり見ないのですが、同日、セリーグの試合をDAZNで視聴していたところ、当該試合のアナウンサーと解説者が

「いやぁ、ロッテvsオリックスは大変なことになっていますねぇ…。」

なんて、担当中継そっちのけで話題にするものですから、気になって見てしまいました。

というか、当日は「巨人vsヤクルト」、「阪神vs広島」も1点を争う好ゲームでしたので、「ロッテvsオリックス」と併せて3試合を掛け持ち視聴することになりました。

少年野球しかやったことのない私が書くと笑われますが、佐々木投手のストレートは球速に加え、キレ、コントロールも抜群で、加えてフォークの制球も良かったですね。完全試合ともなれば四死球も出せないわけですから、当然のことではありますが…。

高卒入団3年目での偉業なので、「今後どうなってしまうのか」という期待がある一方、少々ひねくれた見方をすれば、一流投手として他球団からマークされ、研究される前の段階なので、オリックス打撃陣も対応が難しかった面があるかなと試合を見終わったときに思いました。

翌日の新聞やテレビは佐々木投手の偉業を伝える報道で溢れ、OBや同世代選手、他球団のライバルなどのコメントも紹介されていました。

ただ、プロ野球の一流どころからすれば、

「すごい奴が現れたな」と思う一方で、

「ようこそプロ野球へ」というのが本音かもしれません。

やはり、今プロ野球界で実績のある選手にしてみれば、「長く良い成績を維持してこそ一流のプロ野球選手」という自負があるでしょうから、1度の偉業よりも10年、15年と第一線で活躍できるかという見方をするでしょう。

私はプロ野球に限らず、スポーツの試合は大抵そうですが、

「私には見えない技術があるのだろうなぁ。そういうのを知りたいなぁ。」

と思いながら見ています。
まあ、そう思っていてもわかるわけがないので、ひたすら想像します。

例えば、一流のプロ野球選手で昨年3割を打ち、今年も同様の成績であったとしても、技術的には目に見えない進化みたいなものがあるはずです。
同じ技術で5年も10年も飯が食えるような世界ではないと想像できますから、第一線で活躍する選手は皆、目に見えない進化を続けているはずなのです。

そうした想像から私は、

「プロ意識」とは、「飽くなき技術の追究と進化」であると考えています。

佐々木投手の場合も、これから始まるプロ野球人生を、どれだけプロ意識を持って歩めるのか。それによって、彼の10年後、20年後が決まるのだと思います。

さて、ここまでは野球の話でしたが、「自称教育ブログ」らしく勉強の話で締めます。

プロ野球の場合は特別な才能を持った者が「プロ意識」を持って鎬を削る超特別な世界です。
それゆえにかなり長くても30年以内の選手人生ですが、一般人の人生においても「プロ意識を持つ」という部分においては応用が可能です。
例えば、特別な才能の無い私のような人間でも、意識だけは高く持って生きることができます。

しかし、私の人生を振り返って「意識高くやっていた」と思える瞬間を探したとき、少なくとも、人生の前半にはそうした瞬間は見当たりませんでした。(意識が高いつもりのところはありましたが、変な感じに空回りしていたかもしれません。)
そこは私の青春の「残念な点」なのですが、大人になってみて、「やっぱりできる人はどこか意識が高いところがあったな」と思い返すことがあります。
別に、見るからに「意識高すぎ君」なわけではなく、本当に些細な部分ですね。
普段は皆と同じように行動していても、ふとした瞬間、時間の使い方に「自分はこれをやるんだ」という姿勢が見える同級生がいました。
やはり、そういう生徒は同じクラス、同じ部活など、環境は同じでも進学先は違っていたなと思います。

まあ、すでに折り返しを過ぎた私の人生より、チリ太郎の人生が気になります。

彼は勉強に対する素質は私の何倍も持ち合わせているでしょうが、多くの成績優秀者が持ち合わせる「プロ意識(=勉強に対する拘り、探求心みたいなもの)」を持てるかで彼の人生が大きく違ってくるかなと思います。
もちろん、学業に一旦区切りがつき社会人として特定の職に就いたなら、その職における知識・技術の探求を始めるべきです。

そのようにして自分が置かれている環境、やるべきことに対して、拘りと探求心を持って日々進化できれば、どの分野でもほぼ確実に一定の成果が得られるはずです。
ただ、こうした気持ちは「持て」といって意識が改まるものではなく、自分で気づくべきことです。もしかしたら、そこに気づくことも才能の一部なのかもしれないなと思います。

私の人生は学業においても職業においても、そうした気づきに乏しいものでした。(まだこれからという面もありますが)
チリ太郎の人生においては、比較的早い段階でそうしたことに気づきがあったらよいなぁと思っています。

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