年始に所用があり、妻とチリ太郎は東京に置いて私一人で実家に帰りました。
実家で母と話をする中で、いろいろと感じることがありました。
何を感じたか?
私自身の性格の悪さがにじみ出ていてお恥ずかしいのですが、「古い価値観」から子供を守るということですね。
母と話をしている中で「チリ太郎の様子はどうか」という話になったのですが、私は母親の子なので、その質問を受けて「母親が期待する報告」というのがよくわかるのです。
例えば、「チリ太郎の勉強(成績)はどうか?」という質問について、
青:「まあ、中ぐらいだね。レベルの高い学校だし、あまり勉強しない割にはよくやってるのじゃないかな」
と、嘘偽りない答えを返すのですが、イマイチ会話が盛り上がりません。
母親が聞きたいのはそういう凡庸な答えではなく、もっとわかりやすい(自慢できる)エピソードトークなのですよね。
例えばこんな感じの報告です。(創作です。また、学校のレベルのことは横に置いて見てください)
「チリ太郎、頑張ってるよ。学年ではいつもトップ3ぐらいには入るのだけど、1人だけすごく優秀な子がいるみたいで、定期テストのたびに『今回は勝ちたいなぁ』なんて言いながら勉強してるよ。あと、理科だけは学年トップを譲ったことがないみたいだね。」
キーワードは、「成績優秀、ライバル、さらに伸びようと頑張っている、特定分野に突出した能力」といった感じ。こういうシチュエーション、公立中学だとよくある状況です。
このような報告であれば、即日ご近所に拡散確定です。
その他にも、
母「行きたい大学とか、分野(専攻等)はあるのか?」
青「大学の話は一切しないね。以前は理科が好きで中でも物理と化学だと『化学の方が好きかな』って言ってたけど」
と報告したものの、全く盛り上がりません。→現実×
私なりにゼロ回答にならないよう、近い情報を足しているのですが、ツボに入らないなら無駄な配慮なのかもしれません。
創作で良いのなら、
創作〇→「僕は全然知らないのだけど、〇〇大学の理学部にノーベル賞に最も近い研究者って言われている有名な先生がいるらしくて、『〇〇先生のところで研究したい』って言ってたよ」
みたいな感じでしょうか…。自己採点で85点ぐらいの回答です。
また、
母「好きなこととか、なりたい職業とかあるのか?」
青「うーん、ゲームばかりしてるからゲームが好きなんだと思うけどね。なりたい職業はあるのかわからない。多分、あっても教えてくれないと思うよ」→現実×
創作〇→「ゲームばかりしてたけど、最近は『自分で作る方が面白い』って言ってて、プログラミングを勉強してオリジナルのゲームを作ってるみたい。将来は『ゲームクリエイターになりたい』って言ってたから、『それならプログラムの知識だけじゃなく、チーム(人)を動かすこともできないとよいものがつくれないよ』って話したところだよ」
正直、最後の「なりたい職業」なんて無意味な質問の代表格ですよね。
チリ太郎が就職する頃にどんな未来になっているかがわからない一方で、大人の発想は大抵既存の限られた職業に落ち着くのですから…。
勉強ができる→医者か弁護士
正義感が強い→警察官や消防士
優しい・面倒見がよい→教師
少し協調性に欠ける→研究者
ゲームが好き→ゲームクリエイター、プログラマー
みたいに、ビックリするほど単純化されます。
世の中の職業、そんなに少ないのかというぐらいに。
まあ、いずれにしましても、チリ太郎の様子なんて親の私から見てもそんなに「わかりやすい」ものではないのですが、私の母からすれば、「もっとわかりやすいエピソードトークはないものか? (これじゃあご近所にも自慢できないじゃない)」ということで、非常に大きなギャップがあるのですよね。
とはいえ、私の方も母を喜ばせるために現実を誇張したり、嘘をつくなんてことはしたくありませんからね。なかなか難しいものです。
田舎の母親をつかまえて「古い人」呼ばわりはよくないのですが、これは「自分への戒め」でもあります。
母親の望むものがよく理解できる自分もまた、「古い価値観の中で育った人間」です。
古い人間は新しい人間に対して、「非凡さ」「可能性」「若者らしさ」「礼儀正しさ」みたいなことを望みがちですが、大変残念なことに、それらはその古い人間の経験と理解が及ぶ範疇のこととなります。
冷静に考えてみて、これからあと60年、70年も生きる人に対して、我々がアドバイスしてあげられることってかなり限られると思います。
逆に、「我々のアドバイスとか、理想の範疇に収まっているようでは、大した大人になれない(大した未来を創ることができない)」とも言えると思います。
我々が生きた50年そこらの経験からくるアドバイスって、これから先の50年も同じ世の中が続くなら有効ですが、そうであっては困ります。
変わってほしくないこともありますが、変わらなければならないこと、変わってほしいことの方が多いわけですから、我々のアドバイスなぞが重用されるようでは困るのです。
まあ、そうはいいつつ、チリ太郎はまだ14歳で親の保護下にいるわけなので、その間は古い価値観に従いながら育つことも必要です。その際、多少の我慢も必要かもしれません。
ただ、同時に、自分の考え、自分の感性で飛び立つ準備もしてもらいたいなと思います。
それが古い人間の意に沿うものであれ、沿わないものであれ、その時が来たら私は逆に「チリ太郎の描く未来を信じる」ことしかできないのだと思います。