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子供には伝わらない?

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現在、大学受験、中学受験を迎えている子たちにとっては、それぞれの人生の大きな山を迎えており、それを支えるご両親も含めてご家庭なりのドラマがあると思います。
そういうときこそ、親子の絆であるとか、親の愛情が試される気がしますが、実際のところはどんなものでしょう。

例えば、私はチリ太郎とういう一人息子を育てていますが、妻と私、チリ太郎のチームで中学受験を乗り切り、中学入学後もまだまだ子の独り立ちという状況にはありません。
時々、「中学受験の時も今もチリ太郎にはいろいろ声をかけたけど、私や妻の言葉がどう届いているのだろうか?」と思うことがあります。

ただ、その答えは直接チリ太郎に尋ねるよりも、私と両親との関係を考えてみた方が早いのかもしれません。

(以下は私自身の人生の回想です)

私の父親は10年前に亡くなっておりますが、もし、

「あなたは父親から何を教わりましたか?」

と問われたら、

青:「言葉で教えられたことは1つしかありません」

と答えると思います。
父には大変申し訳なくも思うのですが、「言葉をもって教えられたこと」は本当に1つしか思い浮かばなくて、それは、

父:「ふてくされるんじゃない『ゴルフは楽しくやるものだ』」

という教えです。
(これはかなり前の記事にも書いたかもしれません)

私の兄弟、赤ティと黄ティとの共通の趣味はゴルフだったのですが、あるとき、小さなコース(練習場に併設しているようなミニコースです)を回っているときに父に言われた言葉です。
その時の私は、プレーが上手くいかずにふてくされながらラウンドしていたのでしょうね。今でも鮮明に覚えていますし、何故か自分の人生の中でも大切にしなければいけない言葉だという認識があるのです。

父親は、生き様としてはいろいろなことを教えてくれたと思っていますし、それは私が年を取るごとに思い起こされ、心にしみるものがあります。
ただ、くどいようですが、「言葉をもって教えられたこと」って意外と少ないのですね。

母親はどうか?

母親の場合は、「言葉をもって教えられたこと」はゼロです。
もちろん、様々な記憶があるのですが、言葉として自分の人生訓にするようなものは思い出せませんでした。
母親とは父親の10倍以上は会話しているはずなのですが、不思議なものです。

ただ、父親と同様、いや、母は父親以上に行動をもっていろいろなことを教えてくれたなという印象があります。父と違い、鉄拳制裁もありました。
本当に、数えたらきりがないほどのエピソードがあります。

父も母も、私を育てるのに言葉と行動をもって導いてくれたと思うのです。ただ、子供の側である私の方は、私の人生のある一定期間を支える「言葉」みたいな形では記憶せず、父や母の生き様、私との関係性として記憶しているのですね。

(私の回想終わり)

こうして自分自身のことを振り返ってみると、親から子に何かを伝えるときに「言葉だけで伝える」というのは意外と難しいのかなという気がします。少なくとも、「言葉だけを印象に残す」とすれば、よほど条件が恵まれないと子供の心には残らない気がしますね。

例えば、私はチリ太郎に、

青:「周りから応援されるような人でありなさい」

と常々伝えています。
しかし、そんなふうに親がドヤりながら言ったとしても、
内心で「俺、少しカッコよくね?(ブログにも書いちゃお)」なんて悦に入ってたとしても、

チリ太郎には伝わっていないでしょうね、確実に。

私と両親の関係がそうであるように、チリ太郎も私のことを全体としてフワッと、そして、断片的に少し詳しく記憶していることでしょう。

今のチリ太郎に「あなたは父親から何を教わりましたか?」と問うたなら、

チ:「うーん、何か言ってたかなぁ…。ゲームはよく一緒にやってくれて、そのことなら『最近はどんな調子?』ってよく聞かれたけど…。あっ、柿とかリンゴをよく剥いてくれたなぁ…」

って感じになりそうです。

子育てにおいては、何千、何万と言葉で伝えようとしても、発言者の思いほどには伝わらないことが多いと思います。
むしろ、絶対に伝えたいと思うことは、「行動とセット」にして「父親・母親の生き様」として伝えるべきなのでしょうね。

そんなわけで、最後のオチですが、
チリ太郎に「周りから応援されるような人」になって欲しい私は、まず、私自身がそういう人間であること、そういう人間になろうと努力していることが必要であるということです。

今まで以上に本ブログの応援をよろしくお願い致します。

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