昨年の11月頃からの話ですが、長らくウエイトオーバー気味であることが気になっていて、ジム通いなどしております。(青ティの話です)
私の同世代の人と話をすると、「長生きしたい」という人は意外と少ない印象がありますが、私はゆるぎない気持ちで「長生きしたい。90歳でも100歳でも」という希望を持っております。
長く生きることを前提とすれば、年相応に体が動かなくなることはやむを得ないとして、健康上の懸念は少ない方がよいです。そんなこともうっすら意識しながらのジム通いです。
長生きしたい理由は明確で、
チリ太郎のことを長く見ていたい。
妻ともできるだけ長く一緒の時間を過ごしたい。
そんな他愛のない理由です。
「先の世の中を見てみたい」という好奇心もありますが、まあ、それは妻やチリ太郎と過ごす中での「話の種」程度のことで、主たる動機とは言えませんね。
さて、ジムでマシンなどを使って筋トレをしていると、
「筋トレって勉強と似ているなぁ」
なんて思ったりします。
どんなところが似ているか?
1. 継続すること・できることを前提に
2. 適切な頻度で
3. 自分に合った負荷で
4. 正しいフォームで
というところですね。
この1~4は相互に関係性があります。
1が最重要で、1を実現するために2を、そして3と4を決めてプラン化します。
結果を出したくて、2~4を先に決めたくなりますが、きつくなって続けられなかったら意味がありません。
具体的に言いますと、
「ヤル気を出して週3日ぐらいで始め、鍛える部位なども変えながらみっちりやってみたが、週3が週2になり、なんとなくプラン通りに進められなくなったらヤル気もゼロになってしまう」みたいなケースがよくあると思います。
こんなパターンで2ヶ月で終わってしまうなら、緩いプランでもよいので1年続けられる計画の方がよいですよね。
勉強も同じで、短期で結果を出したいからと「猛勉強プラン」を考えてしまいがちです。
でも、「続けられるプラン」こそ最良なのですよね。まずはそこを押さえないといけません。
そして、3と4です。
ジムでトレーニングしていて、こんなケースがあります。
自分よりも華奢な感じの人がマシンを使った後、ウエイトの設定がそのままになっていたりします。
「ああ、あの人でこの負荷なら、自分はもう少し重めかな」
なんて勝手な判断をしたりします。
又は、イメージ先行で、
「とにかく限界ギリギリの重さでやる方が効果があるはず」
「負荷は重いに越したことは無い」
なんて決めつけるパターンですね。
筋トレは正しいフォームでこそ鍛えたいところに最大限の効果があります。
それがあって負荷が決まりますので、誰かの実績を参考に決めるのは誤りとなる可能性が高いです。
でも、やってしまうのですよね。張り合う気持ちなんかもあって…。
それで、自分に合っていない負荷でトレーニングするとフォームが乱れてしまい、最良の効果が得られないことが往々にしてあるのです。
(高校生の頃の筋トレとか、重い負荷でガッチャンガッチャンとやって、やった気になっていましたね)
そういうところが勉強とも似ています。
いや、勉強なんて脳を鍛える話なので、筋トレ以上に人それぞれのはずですけどね。
とにかく、「自分に合った方法、自分に合った負荷」を意識する必要があります。
セオリーはあります。
方法論も結構あります。
でも、それを鵜呑みにして勉強を進めると、「結果として自分にはロスの多い勉強法だった」となってしまうケースだってあります。
この点、かなり難しいところです。
逆に言えば、この点がしっかりと固まっていれば、凄く強いと思います。
チリ太郎も、自分に合った勉強方法を早めに確立してくれたらと思っています。