冬休みに入り、中学受験も直前期に入りましたね。
(いつからを「直前期」と呼ぶのか、よくわかりませんが)
「中学受験は親の受験」とも言われるように、小学生が挑む受験なので親が果たすべき役割が大きいです。
ただ、そんな親も仕事を持ちながら、あるいは家事をこなしながら子供の面倒を見るわけですので、「どこまで時間を割けるか」という問題があります。
それに加え、親自身がどれほど中学受験を知っているか? また、子供の勉強自体を見られるか?という、「能力的」な問題もありますよね。
我が家の受験を振り返りますと、私は仕事人間ではないため、感覚としては「父親にしてはまあまあチリ太郎の受験に時間を割いた」と思っています。まあ、こんなブログを続けているぐらいですし、興味があったからそこに時間を割いたということかもしれません。
一方、私の能力という面では、はっきり言って全くあてにならない存在であったと思います。
私自身、
・算数も数学も苦手で、重要な教科の家庭学習指導がほぼできない
・子供の塾の成績を詳しく分析できる能力がない
・子供のテスト結果などを見て、課題を見つけることもできない
・基本的な性格が雑で、プリント整理や塾のスケジュール把握なども苦手
という具合で、本当に「学習を進める」という面では何の足しにもならない存在であったと思います。
そんな私のもとに生まれたチリ太郎が志望校に合格できたのは、チリ太郎の実力と妻のサポートの賜物だと思っています。
ただ、今振り返ってみると、
「こんな私だが、父親としてこれぐらいはできた」
というものがあります。
それはものすごく簡単で、特別な能力を必要としないことです。
そして、チリ太郎が中学生になった今でも続けていることです。
そのたった1つのこと
「子供が勉強している様子をよく観察する」
ということですね。
チリ太郎は勉強机を持っていますが、今でもよく茶の間に小机を出して勉強しています。
その近くにごろ寝して、チリ太郎が勉強している様子を(チリ太郎の気が散らない程度に)チラチラ見ています。
子供の様子を観察してどうするのか?
特に何もしません。
ただ、「いい顔で勉強してるな」とか、「集中してそうだな」とか、「今日は全然集中していないな」とか、そんなことを考えながら観察しています。
例えば、私がハイスペックな父親であったなら、別に家庭学習の現場に立ち会う必要などないと思います。
ハイスペックな人は、テストの結果を見ることで普段の勉強の課題などもズバリと言い当てたりします。そんな塾の先生、いますよね?
模試結果や小テストの結果に目を通し、そこから我が子強い部分、弱い部分の把握、学習の進度、理解が十分でない分野の割り出しなど、様々な課題を抽出して家庭学習にフィードバックすることができると思います。
これができる親がいたなら、有能な塾講師や家庭教師が家に常駐しているのと同じです。
それは心強いですよね。
でも、私にはそんな能力はありません。
ただ、チリ太郎と一緒にいる時間はありました。
ですので、子供の様子を直接観察して、
「総合的に子供の勉強が上手く進んでいるか」
だけ見ていました。
この「上手く進んでいるか」という点ですが、決して「塾の進度についていけているか」とか、そういう観点ではありません。
とにかく、「子供が集中して勉強できているか」という点だけの確認です。
例えば1時間勉強したとして、それが1時間分の勉強(ちゃんと身になる勉強)になっていれば、それはとても充実した時間の使い方です。
この点を「観察」するだけです。
これは受験を終えた私の意見ですが、
「結果」を気にしすぎて行動すると、勉強の量や質に悪影響を与える可能性があります。
特に、
・志望校に届きそうか(そういう成績推移であるか)
・塾の進度についていけているか
みたいな観点ですね。
もちろん、具体的な目標を持つことは悪いことではないのですが、往々にして、
「まだ偏差値的に危ういから、勉強量を増やそう」
「思ったほど伸びない。勉強方法に問題があるのかもしれない」
みたいに、「過度な負担を強いる判断」や勉強方法の「ブレ」に繋がる行動をとってしまいがちです。
正直、偏差値が足りていなくても、
過去問が合格者最低点に届いていなくても、
周りのライバルから少しばかり遅れていようとも、
腹を括るしかないのです、特に直前期は。
シンプルに、子供が集中して、できれば楽しそうに勉強に取り組めているか。
これを見守るだけかなと思います。